暑い夏のこと。飛び込み訪問を繰り返してもなかなか話しさえ聞いてもらえない日が何日も続き、精神的にも、肉体的にも、限界を感じていました。
あと、もう一件行ってだめなら、もう今日は帰ろうと決心して、最後のお宅へ。
IT関連の会社を経営しているお宅でした。
「がん保険なら、入っているわよ。ちょうど私が、2,3年前乳がんになって、給付を受けたの。だいぶ、支払いが早くて助かったわ。お宅には感謝してます。
ちょうどよかった、主人にも加入させようって思っていたのよ。
お守り代わりに。」
なんと言っていいか・・・・。
やっと、やっと話を聞いて下さるどころか、契約をすでに考えてくださるとは。
見ず知らずの私に、快く応じてくださった奥様でした。
その社長様も、
「俺はがんにはならないからな。まあお守り代わりに入ってみようと思って。」
というお言葉。
感謝でいっぱいでした。
ほどなく、契約となり、長いお付き合いとなります。
時々訪問しては、何でもない話をするなどのことをしてました。
数年たったころ。
奥様より、
「実は主人が末期の膵臓がんで、給付請求をしたいの。」
と給付請求の連絡がありました。
愕然としました。
これが、がんの実態なんだと。
給付請求でお宅の訪問。
やせ衰え、以前の姿はありません。
しかし、いつものように、何気ない会話をしながら、説明をしてそのお宅を後にしました。
末期でもあり、痛み止めの「モルヒネ」を使用しているようでした。
多くは、モルヒネは体に悪い、麻薬中毒になるなどの迷信で、拒否されることも多いのですが、この社長は「死」を覚悟しているようでした。
その後の会社の整理や家族へのこともすまされ、余生をすごされているようでした。
また、私が訪問しても明るく接してくださったことは感謝しかありません。
それから数ヶ月後の静かに永眠されたことでした。
言葉がありません。
知り合いの他の会社の社長は、モルヒネを拒否し、その後の会社の整理がなかなか進まなかったということがあったようです。
現実には、モルヒネを飲んでも、中毒はおこらないようで、なおかつ、痛みがないほうが、長生きしているということもあるようです。
これは食事も取れ、睡眠も十分に確保できるので当然かもしれません。激痛のある末期膵臓がんの患者さんでも実証されていること。
日本人の多くは痛みを取ることを拒否し、結果的に人生の仕上げができないばかりか、生きている時間の長さで損をしているのかもしれません。
がんの治療と緩和ケアは対立するものではなく、そのウエイトが変わるだけのこと。
人生の最期を仕上げるために、自分の体と相談しておくこともまた、大事な問題でもありますし、がん治療や緩和ケアについての正しい知識を持つこともまた自分の「人生」の一部なのかもしれません。