他者に無関心な風潮になってきたんだろうなって、思っていたころ、今年、タイガーマスク現象が国内で巻き起こりました。
案外、人の心って見捨てたものではないなあ感じていた出来事。
自分がしましたって、主張することなく、さりげなく、その置き手紙をしていく去り際の美しさ。たまにテレビに映ってしまった人もいるようでしたが、でもそういう「心」が誰にでもあるのが、人の心ってものでしょうね。
それを引き出すきっかけがないだけ。
今回の震災でも、名も知れぬ人たちが、支援に動き出しています。
心温かい方々。
なんとかしたい、助けたい、手伝いがないか、困っている人にできることをという流れが、この多くのタイガーマスクを生み出す出来事となったようです。
美しい国。世界からも賞賛される国。誇り。
人の心には、善の心と悪の心が住んでいます。
この何とかしたい、助けたい、幸せになってもらいたいという、他者を思いやる心と合わせて、
一方では、自分だけよければいい、他者に勝ちたい、という欲。認められたいという承認欲求。衣食住すべてにおいて、ほしいものを手に入れたいなど、煩悩の数だけあります(108個かな・・・、それ以上かも)
こんな状態になっても、物資は不足し、お店からは買占めが起きる。
一番必要としているところに届かない現実。
品物を一斉に奪いあい、品不足状態になるのは、なぜか。
奪いあえば、全体として不足するということも教えています。
すこしずつでも、分け合えば、今の現状、余るものの出てくると思うですが。
その中でも、一番の悪の心の根源は、無関心ということでしょうか。
先日、テレビで放映された「金八先生」。
誰にでもある、「悪」の心。
その中で、他者を排斥しようとする心こそ、戦争につながる「心」であることを説いていました。
都合の悪い人の排斥を願い、、かかわりたくない出来事、すべてに無関心を装い、まるでなかったかのように振る舞い、すべてをリセットしてしまう、その考え方。
一番怖いものではないでしょうか。
他人の迷惑で、その人がいなくなればいい、いないものとして考える、リセットした感覚。
現代のキーワードかもしれません。
そんな危険な風潮の中で起きた、今回の地震。
私たちは、その出来事から無関心でいることはできないでしょう。
辛いことから目をそむける、世界の悲惨な出来事から無関心を装うその「悪」の心を沈ませて、善意の、笑顔の連鎖を思う心を育みたいものです。
明日をもしれぬ、わが身ということを教えてくれている、教えてくれた被災者や亡くなられた方々の命を引き継いでいくには、それを活かさないといけないと感じます。
まだまだ、多くの悲しみが、日本を覆い尽くしていますが、その悲しみを活かしてこそ、明日に活かしていける第一歩のように思います。
これを書けることは、生きていること、思うこと、悲しいと感じることも生きて、生かされているからのこと。
大事に、自分のことを思い、他者を思い、さりげなく、心に寄り添うことができる世の中になることを願います。
これこそが、自分の心の「悪」に勝つ善なる心の和となることでもあるように思うのであります。