「いかがかと思う叫びガーン」高裁判決が連発している・・・プンプン

屁理屈を言っても、常識的な80%国民には通用しないと言いたい。

 

なぜ、工藤会のトップが死刑を免れることができるのであろうか?ガーンメラメラパンチ!

12日午前、福岡高裁/市川太志裁判長は工藤会トップ・野村被告について、1審・福岡地裁の死刑判決を破棄した上で、4事件のうち1998年の元漁協組合長射殺事件については無罪とし、無期懲役を言い渡した。

 

 同裁判長は、「およそこういうケースで死刑は聞いたことがない」的なことを言って、推論を否定したという。

 確たる証拠はなくても、「推論」であろうが裁判官としての自由心証主義からは「死刑」判決は充分あり得たはずだ。

 工藤会トップへの忖度を充分わかっている野村被告であり、配下の極道たちである。

「野村被告は、殺人をさせない積極的な対応を組織トップとしてとっていなかったことが『不作為の罪』であって、実行犯同様の死刑でしかるべきということである」

 屁理屈言っても、常識のわかる80%国民には通用しない。

「プーチンは無罪である」と平気でいうようなものである。ムキー

 

もうひとつ

なぜ、同性婚を認めないことが憲法違反なのであろうか?ガーンドンッパンチ!

札幌高裁/斎藤清文裁判長は14日、「憲法は同性婚も保障しており、現行制度は違憲」と判断してしまった。

 

同性婚だろうがニューハーフ婚だろうが、「誰が誰と結婚しようが」そりゃあ勝手にすればよい。

しかし、「同性婚」を「男と女が同棲して子孫を残していく婚姻」と法律的効果を一緒にしていいわけがないであろう。

法の下の平等ということは、基本的な国民の義務を果たしてこそのことである。

「同性婚は、子孫を創出しないことを前提とする」と言っても過言ではなかろう。

子供を創って育てて、人類を存続させることは崇高で大変な重荷・責任である。

これを結果として遂行しない同性婚を同等(=結婚)としてはおかしいであろう。

もちろん、子供を創らない・創れない男女は「創らない自由の行使(創る気になれば創れる)」であり「やむをえない結果」である。

これを「同性婚」の方々と同等とは言わない。

同性婚は、大前提に「子供は創れないことを承知という故意」が明白であるからである。

同性婚は、人類の存続を正面から否定している。

「正面から人類として認めるわけにはいかない異常事態である」

「自分の好きな人間の女性の代わりにAIアンドロイドと結婚する」ことを是認するようなものに近い。ガーン叫び

 

同性婚は、表立って認めるようなものではないと考える。キョロキョロ

法の下の平等の観点から認めるにせよ、「正面から認める」ようなものではなかろう。

 

・・・「バッカじゃなかろうか」思う司法判断の連発には呆れかえる。

 

”癒しの女神”は右を向いている