大阪「高低差」地形散歩に「消えた旧中津川・[十三]」という章がある。18日はこの本をもって自転車に乗った。
国道2号線の新淀川の手前を曲がると野里住吉神社に出る。
先日の尼崎(https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12611527496)の続きのようだが、国道2号線沿いには由緒ある神社がたくさんある。この神社の鳥居をくぐって参道を進むと太鼓橋かある。
この橋の下には昔は池があり、亀もいたそうだ。せっかくの池を今は埋めてしまったらしい。
もったいない・・・・。亀がいたら楽しいのに…。
さて、鳥居に戻り、右の道を見ると石垣がある。この壁が旧中津川の堤防だったらしい。
こんなものは見ただけではわからない。神社の大木は当時の堤防に植えられていたものかもしれない。車や人のいるところが川が流れていたところである。河原の景色が浮かんでくる????
では、反対側にも堤防があったはずである。住宅街の中をうろつくと風格のある家がある。
自転車の上の壁にはこのような看板がある。
この看板によると、ここが堤防跡で、家にある巨木(クロガネモチ)は当時の堤防に自生していた木だそうだ。私のいるところが川だったらしい。今は住宅街となっていて全く痕跡を残していない。
さて、ここから新淀川を渡る。旧中津川が流れていた時は新淀川はない。
淀川大橋は老朽化していて数年間かけてリフレッシュ工事をしていた。先日までは工事中であったが今日は終了している。長いことかかっていた。ただし、かさ上げ工事はしていないので神崎川と同じで堤防を切っているため洪水の恐れがあるときは防潮扉を閉める。
ここから新淀川を上流に進み、十三大橋に出る。そこにこんな橋が架かっている。
何の変哲もない橋である。でも、これがわが国最初の鉄橋の一つだということが分かれば何かありがたみが出てくる(かな?)。大阪神戸間に鉄道が開通したときに旧中津川にかかっていたという。新淀川が開削されて十三大橋ができた時に一部がここに転用されたという。
新淀川を渡って十三に出て堤防沿いを上流に進む。一方通行の道路があり、不自然な緑地で区切られている。左側が本線である。右が側道的な道である。
この部分は自然堤防の残りということである。野里の神社周辺よりかは堤防らしさが残っている。
さらに十三公園に横にも堤防をしのばせる地形が残っている。前方の微妙に高い場所が堤防であるらしい。
しかし、私は堤防とはよくわからない。難しいものだ。
前の信号を渡って進むと下り坂になっている。左手にはこんな店がある。
うどんを製造しているみたいだが大正時代から「大盛り」にこだわっているという感じがしてくる。本当かどうかはわからないがこう思っていた方が楽しい。
最後にこの周辺のJR線のガードを紹介する。
まずは、旧中津川に日本最初の鉄橋がかかっていた場所のガードである。この付近の橋の一部が先ほどの十三の橋に転用されたらしい。
このガードは狭いし急だし低い。ここはもとは水路だった。
もっと西へ行くと新大阪から新淀川を渡らずに神戸線に直結する線路がある。神戸方面と大阪方面に分岐するのでデルタ線という。
これが一番低いガードである。
地元の人は自転車に乗ってくぐるという。私もやろうと思ったが首をグキッとしそうになり大事をとった。大人になってきた。
ここを特急電車の回送車がゆっくりと通るので近くで見るのにはいい場所かと思う。今回は時間がなかったので電車待ちはしなかった。