息子。発熱。

いつもは落ち着きなくうるさい息子が、動きもせず、
涙をウルウルためて気持ち悪さを我慢している。
言葉も少ないし反応も薄いし心配になったけど、
本当に気持ち悪かったんだろうな。。

インフルもコロナも陰性。
でも熱は39度まであがり、久しぶりの高熱にちょっとあせった。

こういうとき、どっしりとかまえてあげられる母になりたい。

解熱剤を飲んで少し楽になったのか、
食事を食べてくれたから良かった!

早く熱下がれー
元気になあれー

体癌の治療は基本子宮全摘なのですが

私の場合まだ28歳と若かったことと子供を望んでいるということから

検査結果で一定の条件をクリアできれば薬を使ったホルモン治療が選択できるということでした


なので、1つ1つの検査結果が出るたびに本当に神経が磨り減り

気持ちの浮き沈みが大きかった時期でもあります


子宮鏡やMRI、CTの結果から体への転移がないこと、筋層に浸潤していないことがわかり、

とりあえずは早期発見だろうということで

掻爬手術の結果が出る前に薬治療を始めることになりました。(3月)

ただ、掻爬手術の詳しい結果によっては薬が効かないタイプや再発しやすいレベルが

あるそうなので、安易に喜ぶことはできませんでした


ホルモン療法で使用する薬はヒスロンH。

副作用は血栓ができやすいことや体重の増加とのこと(確か・・)

これを毎日飲むことになりました



4月に入ってからようやく詳しい判定分かる

体癌1a期 分化度G2


薬治療ができるギリギリのレベル

分化度G2・・・これがG1だと先生も薬治療できますよ!っと即答するというのですが、

私の結果はG1に近いG2とのこと…

先生もどうしたものかと考えていましたが、薬との受容体?が有ることもわかり

薬が効く可能性があるということで、無事に薬治療で様子を見れることになりました


この最終結果が出て、ようやく気持ち的に落ち着くことができたように思います





知からあわただしく過ぎていった毎日…のような気がしていますが、

当時は判定が出るまでの一日一日がとても長く感じていたと思います


告知当初はガンについての知識も全くなく、

真剣に死んじゃうのかな??なんて考えたりもしたし・・

とにかくいろいろなことが不安すぎて涙も枯れるほどだったし何もする気になれなかった。


当時はまだ働いていたので、仕事に行くのが唯一色々なことを忘れる時間だったかな

それでも検査検査の日々でお休みばかりもらっていたし、

そういうのがまたストレスとなってきてしまっていて

結局数か月後に退職を決めました。


とにかくまわりにいる人達のことがすべてうらやましく思えた時期。

なんで私だけ??

なんで私が??

そんなことばかり考えて自暴自棄に堕ちいってました


入籍して1年後の出来事で、まさに青天の霹靂。

告知の翌月には披露宴も控えていたため、気持ちが保てず本当に大変な時期でした

とにかくあの時は旦那さんがいなければきっと乗り越えられなかったと思います


側にいていつもと同じように接してくれていた家族たちには本当に本当に感謝しています




告知の際に、主治医に言われたことば・・・

「なんで自分が・・?って思ってしまうと思うけど、

今はしっかり検査をして治療をしていきましょう」

穏やかで優しく力強い言葉は今でもはっきりと残ってます