こんにちは♪
前回までのブログで親父に降りかかる最悪な出来事の連続。
今までの人生で1番落ち込んだ出来事。
そして母親の死去から8日後には、親父のもう1人の母親と思っていたおばあちゃんもこの世からいなくなりました。
享年103歳
電話を施設長から頂いた次の日早朝四時に出発してばあちゃんが居る施設に8時に着きました。
施設長が迎えてくれて、
👨 色々とありがとうございました。
施 寂しいですね。
👨 はい。
簡単な挨拶の後にばあちゃんと対面。
綺麗なお顔してました。
その後、妹も合流。
妹とは実は8年ぶりの会話になります。
母親を妹が面倒を見て同居してたのですが、母親と上手くいかずに結局母親は家を出る形になったんです。この時に兄妹で喧嘩になり、
それっきり。
妹は未だに母親の事を許せないのか母親のお別れ会にも来ず。
骨葬には来たのでその時に久しぶりのぎこちない会話をして、この日もこれからの兄妹でやらなければいけない事の確認の会話。
でも母親の遺言みたいな手紙に書いてたので多少はいんではないかな?と、親父は思ってます。
叔母も来て施設の職員さんが数多く挨拶に来てくれてばあちゃんは愛されてたんだな、と感じた瞬間でした。
葬儀社の人が来て告別式の会場へ移動して、打ち合わせを喪主になる叔母は高齢でその息子は頼りにならないので親父が打ち合わせして叔母に伝える形で終わらせました。
次の日、
告別式には施設長やスタッフさんも来て下さり、ばあちゃんも喜んでたのではないでしょうか?
親父は生前にばあちゃんをいっぱい見れて温もりを感じたので気持ちの整理は母親の時と違いついてました。
最後はばあちゃんに、
ありがとう
の感謝を伝えてお見送りをしました。
突然、母親が亡くなり呆然としてる中に遺品整理や手続きなど淡々と行わなければならなくて、気持ちの整理も出来ないままにばあちゃんまでも亡くす寂しさ。
親父は誰よりもばあちゃん子だったので約1週間で2人の母親を亡くした感覚です。
未だに気持ちの整理はつかないまま通常の仕事や生活に戻りつつありますが、唯一ですが腹が立って仕方ないのが、、、
妻から、
お疲れ様、
大変だったね、
などは当然言われるとも思ってませんが、
ここでは書けない卑劣な言葉を言われました。
家庭は崩壊。
私の料理は作らない、出さない。洗濯物は端っこで乾かない事もしばしば、玄関の靴は私以外は揃えておく。
こんなのは序ノ口。
今の親父は精神状況も少し正常ではないので少しでも落ち着かせて前を向こうと思います。
これから先の事、
3人の子供の事、
考えれば考える程答えは出ません。
いつになれば明るい未来は来るのだろう。