日本の林業はかつて100年単位で運営されていた

小説"夜明け前"で最初に描写される木曽の御用林は厳格に管理された禁足地である

一木一殺と呼ばれ勝手に木を切り倒せば死罪であった

主人公半蔵はその古めかしい江戸統治に嫌気がさし明治維新に多いに期待するのだが

結局 新時代は半蔵の理想とは程遠く 政府の重圧が庶民にのしかかり 

木曽の御用林も私利私欲のために伐採されていくという現実があった

 半蔵は気鬱となり座敷牢の暮らしとなる

庶民の側から見れば明治維新はろくでもない

税と兵役が課せられるようになっただけのことである

それが当時の世界情勢の反映であったわけだ

 

江戸期というのは当時のせちがない世界情勢と比較すれば時間のスケールが違う

だからこそ樹齢数百年という大木を大量に温存することができた

 草創期の日本 つまり律令体制が確立する時代にも度重なる都造営によって大木が切り倒された

主に、琵琶湖の出口 瀬田川沿いの山林に大木があったのだが、そのほとんどが伐採されてしまった

その材木管理をしていたのが石山寺である

ある程度戻った山林もあるのだがその爪痕が今に至る場所もある(田上山)

 その影響がどのように都に現れたのかは、よくはわからないが

当時の天皇制と律令制は国際化時代ということも相まって自然破壊的な政権であった

 

しかしながら日本の森林の復元力は驚異的である

江戸期まで日本の製鉄は、木炭と砂鉄で行われており 日本から相当量大陸に輸出されていた

他の金属も同様である

 大陸ではすでに森林資源は枯渇し鉱石はあっても炭がなく精錬は行き詰まっていた

しかし、日本は室町期から江戸期に至るまで大量の鉄(刀剣であることが多かった)を

国内はもとより海外にまで供給することができた 

 江戸期の銀については、世界供給量の三割という時代が長く続いている

これは、西日本の森林の復元力と炭山を一手に経営していた一族の経営手腕による

彼らは100年単位の目線で炭山を経営したのである

 森林とは直接関係ないがかつて地方に存在した豪農、あるいは篤農家という人々も

農地の経営 里山の管理に熱心であった いずれも極めて長期的な捉え方 考え方をしていた

 

 イギリスも産業革命前後は製鉄を森林資源に頼っていたのだが石炭を使う方法が18世紀初頭に発明され

以後、森林資源に頼らず製鉄を継続できるようになる そのことが英国の繁栄の理由である

同時に現在のイギリスの風景、少しの森林と広大な農地が残ったのである

 

かつて森林は、人間の生活と密接に繋がっていたのだが

石炭の登場により、連携が失われた

日本で残ったのは建材のための森林なのだが それも輸入材に押されて山林は日本の生活からまた遠くなった

かつては、水田経営と密接な関係にあった山林であったが杉の植林で保水力は低下している

河川は氾濫しやすくなっている

また杉林は動物にとっては貧しい森である

実の成る広葉樹林は、多くの動物を養うことができるが杉林には食べ物はないに等しいためだ

熊や猪が里に出没するのは、限界集落ばかりのためではない

 

その杉林の植林にいまだに補助金を出しているというのが国政の実態である

 

欧米では林業は盛んである 広大であるためだ

ただ、日本に比べると復元力は低く一度失われれば それきりの森である

その森がたびたび大規模火災に見舞われている

とかく温暖化と結びつけられやすい森林火災なのだが山火事が大規模化したのは行きすぎた消化活動のためである

大自然のもとでは、小規模、中規模程度の山火事何年か毎に発生する

しかし、現在報道されるような大規模山火事にはならない

かつて発生した小規模山火事が山火事連鎖の原因を断つためである

 

自然発生の山火事は乾燥と落雷が原因なのだが、

昨今のように森林の中に邸宅を構えるような事例が多くなると山火事はボヤの段階で始末されてしまう

また監視能力が向上した現代社会ではボヤを容認できるような理性的な判断はできない

このことが蓄積されると森林は広域にわたって可燃物で満たされることになってしまう

この事実は10年以上前から統計データによって示されている

小規模な山火事が繰り返されていると大規模山火事は発生しない

 あの取り返しのつかない大規模山火事は人為的な原因によって発生している

 

森と人との関係はかつては近く密接なものだった

だからこそ、森を滅ぼさぬよう その森の恵みを最大限に得るということに腐心した

しかし、産業革命後、森は次第に遠くになり単に収奪すべきもの

あるいは保護すべきものという考え方でしかとらわれなくなった

 焼畑は農耕が本文ではあったが大規模山火事を防ぐ役割も担っていた

いつの頃からか自然破壊という単一の物差しで見られるようになった

現代の森林経営は山とは無関係な高等教育を受けたものたちによって行われ現実とは乖離しているためだ

森林の経営は風土、気候によつて対応が全く異なるものだ

 

杉の植林ばかりを奨励する林野庁

農地と森を切り離し畑作を水耕栽培のような考えている農協

それが現代組織であろう

 江戸期の炭山を管理した豪商は、冶金のための火力を200年にわたって山を維持し続けた

それがどのような知見や智慧をもとにしたのかは今となっては我々には知る術がない