世の中には当たり前として通用していることでもおかしなことがよくある

先日、知事会がコロナ対策としてロックダウンを提唱しているのには唖然とした

言葉が先行しその内容が問われない一見正論のようなことに、メディアは概ね好意的だった

もし、本当にロックダウンを実施してコロナ対策とするなら、中国のように厳しくしなければならない

地域の全員PCR検査を実施後 感染者が発見された地域、ビル、施設をただちに閉鎖し出入りを禁じる

食料は運び込みのみで選択の自由はない

それが効果のあるロックダウンである

この方々はそうしたことを想定してロックダウンを提唱したのであろうか

併せて述べるとPCR検査の正しい使い方はこの人権無視の行動制限を伴うものである

個々人の陽性、陰性はPCR検査が実際の感染を意味しないのであまり意味がない

ある集団に蔓延しているかどうかの指標となるだけである

したがって感染が確認された集団はまとめて隔離するというのが基本だ

しかし、現在では、当初の検査願望からか検査陰性が一人歩きし 東京から地方に出かける人の免罪符となっている

使い方としては全くの間違いで、オリンピックで実施しているように毎日検査して初めて効果がある

 

 

大正時代の流行感冒、スペイン風邪は、足掛け四年実質三年間の疫病であった

現在より多くの人が感染し、多くの人が亡くなった

第三派まであった

第一波はでは日本の人口の1/3ほどが感染

第二派では感染者数はそれほどでもなかったが致死率が上がり20万人ほどの死者を出している

第三波は感染そのものが減った

集団免疫を獲得したと思われる

波のメリハリははっきりしていた

冬に流行り温暖期に収束した

なぜなら当時は都会でも冬でないかぎり居宅、店、施設全て窓を開け放つくらいであったからだ

空調などというものはない

したがって窓を閉め切る冬以外には感染拡大の条件が揃わない

またほとんどの人が自宅で療養するのが当たり前という時代で、医療崩壊などということもなかった

現在は条件が異なる

都会の生活者は、夏冬問わず日差しの無い閉鎖空間で暮らす

つまり感染の条件は常に揃っている

田舎といえども家庭内にはエアコンがありやはり閉鎖空間で暮らす

このために東京から持ち出された病原体は、家庭に入ると家庭内感染を引き起こす

したがって地方では当初の感染者の少なくとも四倍の患者を出すことになる

大正時代のように開け放しの居宅であればそれほどひどい状況は夏には起こらない

一方 現在では感染状況が揃っているのにもかかわらず

様々な方法で感染拡大を避ける

ことに日本では生活習慣が疫病慣れしている為、感染者は少なめだ

したがって集団免疫を獲得するのに時間がかかってしまう

日本の感染者数では、いつまでたっても収束はこないが

感染状況は揃っているのでいつまでも燻り続ける

治療薬が見つかるまでほぼ永遠に行動制限をしかなければならない

これが日本の苦悩であろう

そこでワクチンによって擬似感染者を作り出し集団免疫を実現させるのだがこの方法には欠点もある

ワクチンというのは、ウィルスの変異過程で使用ワクチンへの耐性を持ったものを残してしまう

インド株と言われるものがそれに相当する

インド株が出現するのは、インドでワクチン接種が始まった直後である

それが今の実態だ

大正時代も現在も変わらないことがある

ウィルス性感冒には治療薬がないことである

抗生物質は戦後普及するのだが、これは菌による疾病のみで、ウィルスには効果がない

抗生物質の投与は合併症として発生する菌による疾病を抑止するだけである

 

 

こうした現実や事実を踏まえると感染抑制政策にどんな意味があるのかPCR検査にどんな効果があるのか

改めて問い直す必要があるのだが、これらは前提なく正しいと考えられている

スペイン風邪の時には、三年で集団免疫を獲得して以後社会は正常化していくのだが、

今回は、そうはならないかもしれない

いくつもの誤解を含んだ文明的な対応が集団免疫を獲得させない恐れがあるためだ

 

 

現在は、脱炭素社会の実現に爆進している

いわゆる知的な人々が温暖化の原因を人類のCO2排出に原因があると断定したからだ

知的でリベラルな人々にはもう一つ特徴がある

現実よりも美辞麗句を好む

核廃絶になんの貢献もできなかったオバマ大統領が”核を無くそう”とスピーチしただけで平和賞となるということが端的な例だ

脱炭素では2060年までにCO2排出を実質ゼロにすると宣言した中国を環境保護団体が賞賛しているのと変わらない

中国のCO2排出は別段減っているわけではない

それどころか現在は石炭火力発電所を増設中である 中国が世界の工場にのし上がったのは安価な石炭火力発電があったためであることを彼らはよく知っている

カーボンニュートラル政策で疲弊した先進諸国を温存した石炭エネルギで中国は一気に優位に立てるものと未婚でかのようである

対して、CO2をあまり排出しない日本が槍玉に挙げられる

ようやく菅首相が世界の空気読みから日本も排出ゼロに近づけると宣言したが胡散臭い目で見られるだけだ

そういう現実の馬鹿馬鹿しさはさておき温暖化の現実とは何だろうか

IPCCはCO2が温暖化の原因だと言っているが実際の因果関係はよくわからない

卵と鶏の問題であるからだ

温度が上がったからCO2濃度が上がるという理屈も考えられる

また見方を変えると現在の400PPMというCO2濃度は、地球史から見ればかなり低い

確かに18世紀頃の300ppm未満に比較すれば高いのだが、そのCO2濃度の低さには問題がある

植物は光合成によりCO2を還元し他の生物に様々に炭素化合物を提供する

つまり、CO2があるから、生物はエネルギーを循環し命を繋いでいる

このCO2濃度の最低限界点が200ppmあたりにあるようでこれ以下になるとかなりの植物が死滅する

逆に600ppmあたりまでは濃度に比例して植物の活動は活発になる

日本で記録されている天明、天保の飢饉は”温暖化が始まる”以前である

この原因は天候不順とされているがCO2濃度も考慮に入れるべきかもしれない

また、CO2が少なくても天候不順はあったというのも考慮に入れるべきだ

最近のメディアは現在の災害をCO2増加による温暖化が引き起こしているものと煽っている

しかし、災害は昔からあり 人類はずっと天候不順に悩まされ続けている

ことに異常気象ということがよく言われるようになったが、正常な年などはないものだ

大きな洪水被害も疫病発生も100年前にもちゃんと発生している

そのために一次世界大戦が起こったと言っても良いほどだ

また、暑くなったという体感については、都市の巨大化によるヒートアイランド現象の方が深刻だ

少しは話は逸れるが地球の温度平衡についての見積もりでは、

太陽から受け取る熱量の10%を超える熱量を人類が発生させれば地球は熱暴走する可能性があるとされる

つまりCO2を発生しない原子力にも限界がある

 CO2の排出を制限して温暖化による損害を防ぐということは、プロパガンダとして存在するだけで

明確な因果関係は成立していない

最近の一万年だけでも、温暖化と寒冷化 あるいは海進、海退は人間の活動とは無関係に起こっている

西のローマ、東の大唐帝国の時代は、ワインの北限が東欧にまで至り唐の時代の内モンゴル地区は砂漠ではなく森林に覆われていた

そんな傍証があるのにも関わらず無闇に脱炭素を叫び極端な政策を取るのはまともな経済活動なのであろうか

未知の技術には、未知の環境負荷がある

太陽光発電やEV自動車で新たな問題を生じさせたいのであろうか

少なくとも太陽光発電は製造エネルギの方が稼働エネルギーより大きいと言われる代物だ

現時点でCO2削減には何の効果もない

 

 

最先端の科学的知見によればという文言はメディアに好まれる

しかし、最先端の科学的知見というのは、極めて怪しげなものでほんとかどうかわからない

ノーベル賞が通常 高齢の学者に与えられるのは年功序列だからではない

その発見や業績の検証には50年近い年月が必要なためだ

自分が思い出すその実例は大陸移動説である

1912年にウェゲナーが最初に言い出した

この年はタイタニックが沈み すぐに世界大戦が始まった頃である

そんなに昔のことではない

学会の反応は冷たくこの説が認められるまでには50年近い年月を要した

良識的な学者の間では、地球膨張や収縮説が定説として流布していた

現在発生している現象に対する科学的見解というものはその程度のものである

 

 

自分が学生の頃 文系の学生たちが科学と言ってもてはやしていたのは資本論である

労働価値説と科学的社会運営を標榜するこの理論はマルクスの妄想に過ぎないのだが

勉学好きのナイーブな学生を虜にするには重厚で一見論理的であるという魅力がある

その魅力がソ連という国家を生み出し、中国や北朝鮮を作り出した

もちろん看板だけの話だが理想国家を作りあけだという神話は今なお学生たちを虜にする

このためか共産党は科学という言葉を頻繁に使う

日本共産党も科学的と言う言葉を多用する

科学的で客観的な考察と結論を持っているのは自分たちだけであるという姿勢の現れである

しかし、科学というのは検証に時間のかかる代物で、現在進行の事柄には無力であったり間違いであったりすることが多い

 

 

日本に原爆が落とされた時、開発した科学者たちは残留放射能は存在しないか微量だと言ってのけた

現実は違った

その後、原子力発電は安全だと言う神話も作られたが 実際はかなり脆弱なものであることが判明した

また科学者は良心に苦しむものという伝説も作られた

それは嘘である

科学者は後悔するかもしれないが

当座は未知の事柄を 善悪を超えて探究するものだ

だから 原爆は開発され 新型コロナウィルスは研究所から流出した

古い話だがソ連では炭疽菌流出事件というのも発生している

生物兵器にしようとしたかは不明だが コロナウィルスに様々な変異を加えて人間に感染する条件を研究していたのは確かだ

感染する理由を確かめる研究が何の役に立つかは知らないが

どちらかと言えば興味本位だった

科学者とはそういうものだ

 

 

コロナ対策では何度となく日本の感染爆発を予言した人がいる

数理モデルを使い 何ヶ月後にはこうなるという預言だ

そして徹底した感染対策を要求している

しかしそんなことを実行すれば、経済的には立ち行きゆかなくなる

リモートも推奨されるが

リモートで仕事ができるのは成果の曖昧な中央官庁や民間のホワイトカラーだけで現実の経済活動は人が交流するものである

彼らのような立場の人が提言すべきことは、空調システムの改革であったり 建物や都市そのものに対する考え方の考察であるべきだが

多くの場合 科学者とは専門分野に閉じこもりその分野での提言しか行わない

そういう人々の科学的知見に現代社会は今後ともずっと振り回され続けるのである