トリクルダウン仮説というものがある

貧困をなくすには富者がまず豊かにならなければならないという考え方だ

なぜなら富者が豊かになれば投資や消費が盛んになり富が社会に行き渡るというものだ

批判も多いこの考え方だが、現代の経済政策は、ほぼこの考え方に沿ったものだ

 確かに近世までの世の中ならそれでよかったかもしれないが、モノよりも資本が優先されるこの時代では効果はまったく異なる

 貧富の格差は増大する一方だ

そのことは、米国は当然ながら、共産圏であったロシアでも 今なお共産圏である中国でも同様だ

 経済学というのは、きわめていかがわしいものなだ

ある意味、科学の革をまとったイデオロギーにすぎないのだが、

 実際に大勢の博士が存在し、ノーベル賞まで存在する

経済学を研究するのはかまわないが、いくら賞賛された理論でも現実とは無関係であることを政治家も世論ももう少し認識すべきであろう 

 

 つい最近まで米国のリベラル派がかかげていた考え方

自由主義経済は、社会を民主化するというものだ

この考え方に沿った形で、米国は中国を受け入れ、中国の非対称な自由主義経済を尊重した

 (現実の米国の選択の理由はロシアに対抗させるという意味にすぎなかったが)

 例えば中国が米国に会社を持つことは自由だし、上場も可能であるとした しかし、中国の中では、外資は会社を所有することはできず、かならず現地資本との合弁を強いられている

 しかも稼いだ利益の持ち出しも許されていない

 そうした慣行もリベラリズムのもとではやがて氷解し、自由主義経済となっていくに違いないというのが米国の知識層の考え方であった

 米国は最近になってようやくその考え方は誤りだと気付いたようだ

米国には、このような合理的な当たり前とされるあやまりがたびたび存在する

 

科学のことに目を向けよう

日本の原発建設の問題だ

日本では、本来、原発は建設すべきではない

西欧や米国の大陸のように安定した大地を持たないからだ

100年から1000年単位で考えれば、強度の地震が発生し多くの建物が破壊され、海岸沿いでは大きな津波に襲われる

 こうした状況の科学的解決は、地震理論にあった

地震の大きさは活断層の長さに比例するというものだ

 この地震学の成果は原発建設に多いに役に立った

活断層の解釈を読みかえれば、非連続の短い断層にわけることができる そうすれば、個々の断層から想定される地震は小さいということになり 安全だという理屈が成り立つ

 この理論により安全性を保証された土地に原発は建設された

 

  さて最近のもっとも最先端の正義は二酸化炭素ガス(CO2)の削減だ

この正義の原動力は二酸化炭素の排出が地球の温暖化の主原因だというものである

 この理屈の背景には、CO2の増加は温暖化のもとになるという事実がある

理論的にも実験的にも確かめられる 真鍋氏がノーベル賞を与えられたのはこの理論による

 そして、現実に1985年以後の測定では毎年ほぼ2ppmずつ二酸化炭素は増え続けている

現在のCO2の削減運動は、

この増加が人類の経済活動によるCO2排出によるもので、われわれはただちにCO2排出を抑制あるいは停止すべきだということになっている

しかし、この論理には飛躍がある

まず毎年2ppmずつという直線的な増加と世界のGDPの変化と結びつかない 現在 世界のCO2の排出の半分はおおよそ米国と中国によるものである

しかし、2000年以前の中国ではまだ工業化が進んでおらず二酸化炭素排出国ではなかった

他の国も同様だ

つまり、2000年以前と2000年以後では世界のCO2排出量は倍ほど違う

しかも、昨年のコロナ禍は世界のCO2排出量を激減させたのだか、世界のCO2増加量はかわらなかった

 つまり経済活動の増加や浮き沈みとは無関係にCO2が一定量増え続けている

さらに、2ppmの増加量というのは、実は莫大な量で工業生産によって排出されると見積もられているCO2の20倍である

残念ながら、これらの疑問や矛盾に答えてくれる政治組織や科学者組織はない

 

 いよいよ三年目にさしかかるコロナ禍であるが 科学的知見に基づくべきだという論調に押されて

PCR検査、ワクチン接種、ロックダウンと大量の保証金という対策が執られた

 確かにコロナ禍は、大量の入院患者を生み出し、病院の崩壊といわれるところまで至ったので致し方ないところもある

 世界が近代化して、こうしたウィルス禍に見舞われるのは周知のように二度目だ

われわれはスペイン風邪を体験しているのである

当時、スペイン風邪は三年ほどで沈静化したが

世界の死亡者は推計で5000万人 日本は40万人ほどいわれる 以後は弱毒化して、普通のインフルエンザとなった

それに比べると現状世界のコロナ死者は500万人 日本では二万人にも届いていない

これを進化した文明の勝利と考えるのか、社会の脆弱性ととらえるのか 判断つきかねる

 社会の混乱は現在のほうが激しいように感じるのは何故だろう

 

 日本はたびたびPCR検査の少なさを批判される

また、公式にはPCR:検査の陰性証明がたびたび重要視される

確かにPCR:検査は、ウィルスの広がり程度を観測するには有効な方法ではある

しかし、個々人が陰性だったからといって、罹患していないということにはならない

 実際、空港検疫で陰性でもその後発症、陽性化すると言う事例は数多である

 また、人によっては何度検査しても陰性で、ようやく肺炎を併発してコロナだと診断される場合もある

そういう事実があるにもかかわらず人々が陰性証明にこだわるのは何故だろう

 これには見えないものを見たいという人間の本性にかかわるものだからだ 

 

見えないものを見て人間は正しい判断ができるのだろうか?

 

 コロナ以前の世界ではインフルエンザが冬の流行風邪として命を奪った その数は、日本で年間3000人米国でも一万人

関連死まで含めればその倍にはなる

 感染者数は推計で日本では1000万人

もし、この感染者数をPCR検査で追跡したら、われわれは毎日のようにその脅威におびえることになろう

 

科学は英語ではSienceである

その語源はSeeに通じ 見えるものという意味になる

Science以前の世界では、宗教理念が社会を支配した

あるいは言葉といっても良い

対して、Scienceは万人に見えるものを根拠とする学問となる

しかし、現代社会はそのScienceが氾濫し、かえって事実が見えずらくなっているようにも見える

 ことに政治家や政治に近い権威者が科学的知見という言葉を使うときは要注意であろう