歴史的事実に基づいて謝罪しろと言うのは、韓国の日本に対する公式な姿勢である

もちろん歴史的事実というのは韓国側の提示する事実に則ってという意味である

日本人の多くは この歴史的罪ということがあまりよくわからない

第一、歴史的事実というのは日本人にとっては学者の先生達の間では論争もあろうが 一般人にとってはそんな昔の事と思ってしまうようなことだ

 その隣の中国も歴史的正義にはこだわる

現在のこととは無関係ではあるが

中国 宗の時代の政治家 秦檜 は国賊として歴史的避難を浴びせ続けられている

杭州岳飛寺に罪人としての夫妻像を設置、皆でつばを吐きかけるという習慣がその歴史的体質をよく表している

 中華思想のもとでは正史というものがある

正史は王朝交代があると現政権が前の政権のことを記述するというもので、現在の中国共産党も清の時代の正史をまとめている

当然、現政権は前政権を滅したので前政権は断罪される

前政権は腐敗しており現王朝は徳があるという考えに基づく

 しかしこの歴史的正論は周辺国に大きな負担を与えてしまう

 李朝朝鮮はこの中国の立場と親密であったために、明が滅ぼされ清が成立したときには、明が正義であり清を蛮族とし清に敵対した

このために、清時代の朝鮮は不名誉な立場を強いられた

外交が正義と不義に二元論で語られるためである

最近では韓国での大統領が交代するごとに罪に問われるという習慣が知られている

これも歴史観によるもので、現政権は過去の政権の悪事を糺すために登場したという考え方が背景にあるためだ

もちろんそれだけではない

韓国では、自殺した盧武鉉元大統領が言っていたように大統領になったら親戚が三倍に増えたとこぼしていたという

これも一族の歴史を詳述したがる歴史的国民性のなせるところであろう

 

 

では我々日本人の歴史観とはどういうものであろうか

もちろん歴史を背負ったものはたくさん存在するのだが、だいたいが家業の問題で仕事をつぐつがないということに集中している

そして家業が中心であるために血統のことにはあまり拘らない

そういう感覚であるために日本では朝鮮や中国ほどには親戚は多くはならない

 

 

真面目な日本人の中には韓国や中国の戦時中の戦争行為の非難に同調し謝罪をよしとする人もあるが そんなに簡単なことではない

彼らには歴史的善悪という普遍価値があり、謝罪したから、賠償したから水に流すという観念は無い

また、一旦、悪と定義された事柄は未来永劫、(秦檜のように)悪であり、そちら側の人々の糾弾を浴び続けなければならない

つまり、冤罪であろうと誤解であろうと捏造であろうと一旦決まった善悪は修正できないというものである

 イ・サンという韓流ドラマでは、イ・サンの父親が冤罪で反逆者という汚名を与えられ それが公式記録に書かれた

その記事を修正するのには、神聖なる川にて大掛かりな儒教的儀式がとり行われるという描写があった

書かれた文字を改変するというのはそれほど大袈裟なことであったようだ

韓国の慰安婦問題では、時の首相 宮沢喜一がそうした背景の考察もなく軽率にも河野談話という形で謝罪してしまった

 だからこそ、彼らは何度も何度も謝罪を要求してくる

日本も認めた絶対悪だからである

慰安婦問題の真相は、慰安婦は確かに存在したが 性奴隷でもないし少女も居ない

後述するが戦争と慰安婦というのは歴史のダークサイドでどの戦争、どの軍隊にもあった問題だ

朝鮮戦争のおりにも存在した

洋公主と言われたり第五種補給物資と呼ばれたりしていた

韓国主導で組織された韓国軍もしくは米兵に対する慰安婦である

しかし、このことは歴史の闇に葬られた

少なくとも韓国では触れてはならない話のようである

 いわゆる慰安婦の証言の中にジープで連れて行かれたと言うようなものもあるのだが それは洋公主としての体験である

日本にも戦後、米軍向けに慰安所が開設されたが、戦時中とは異なり国が関わったが 扱いは悲惨であったことが伝わっている

 

 

後世の視点で過去を断罪しようとすると、当時の価値観、善悪判断が現在と著しく異なり

 事実関係が損なわれ 実態とは随分異なったものになってしまう

さらに付け加えれば、戦争において慰安婦と言うのは、どこの戦場にも存在した

米兵も西欧の兵隊にもそれは戦争に付随するものと理解されていたが 公にして良いことではなかった

出典は忘れたが西欧のどこかの国が戦争現地に大量のコンドームを送ったと言う事件があった

性病を予防し不慮の妊娠を避けるためであった

しかし、そのことが明るみに出るとそういうことはなかったことにされた

カトリックだろうプロテスタントであろうと婚姻以外の性交は非道徳的なことで罪とされていたからである

しかし現実には存在した

日本の軍部は日本の性道徳世界にあったために公娼制度の上で慰安婦を捉えていた 公娼制度では売春は職業である

 奴隷などではないしきちんと給料も支払われた

江戸期には吉原そのほか岡場所にも娼婦、娼妓は存在したが西欧の倫理観から見るほどに蔑まれた立場ではないし

債務がおわれば自ら務めを終えて自由になることもできた

実際、娼妓から大店の女将に転身した人もあるし、武家に嫁いだ人もある

そういう意味で日本はおおらかであったのだが、日本の外から見れば野蛮な習慣ということになる

この日本の感覚は儒教世界にもキリスト教社会にもなく、国際的には理解できない社会制度でもある

日本人がこうしたデリケートな問題を扱う場合に注意しなくてはならないのが、この日本の特殊性である

自分たちの良識で彼らと議論すると思わぬ落とし穴に追い込まれる

先方の印象では、日本人は売春を単純な商業と考える野蛮な人種ということにされてしまうのである

かと言って彼らが彼らの価値観に従って清廉潔白であるかといえばそうではない

売春も売春婦も戦場の慰安婦もどこにでも存在した

 

江戸末期 日本を訪れた外国人から見た日本人は実に変わっていた

社会に秩序があり礼儀ただしい反面 その倫理観は彼らとはかけ離れていた

下田に逗留したパークスは、野天の温泉で老若男女がなんの抵抗もなく混浴していたり

身分のある武士が人前で素裸を晒すのに抵抗がないとか様々なことを書き留めている

庶民には刺青が多かったことも

仕事を終わり家路につく職人達が子供の玩具を買い求めたり子供と遊ぶ様をみたり

浅草の観音堂で花魁が自分の絵姿を絵馬として奉納したり

こうした習慣は、やがて西欧との交流の中でねじ曲げられていった

基準となったのはキリスト教の倫理観で、その光と影が日本に投影されることになった

さて、近世以前の戦争では、兵士にとっては占領地の強姦、窃盗は報酬であった

その頃の戦闘は、兵士と言うのはほぼ傭兵で、数も少なかった

戦争は金持ち同士のいざこざに過ぎなかったので、戦闘が全土をおおうと言うこともなかった

近世になると国家は市民のものとなり市民兵と言うものが組織され戦争は国家間の総力戦になる

この状況で強姦、強奪お構いなしと言うのは、戦争国にも受け入れられず国際法というものができてくる

 

 

第二次大戦後 フランスではナチの将校に体を売った女性をひどく差別し、リンチもしている

それが性道徳の現実である

 

 戦闘そのものに関しても文化の違いは大きい

第二次大戦のころまで 中国にもソ連にも督戦隊という部隊があった

彼の国の兵たちはほぼ無理に連行されたものが多く戦意はほとんどなかった

国に対する思いと言うものが彼らにとってはただの負担であったからだ

日本が日清戦争に勝利したのはそのためだ

恐ろしく戦意の乏しい兵士達が烏合の衆としてやってくるだけで

ちょっとしたきっかけで総崩れになった

やがてそれでは戦争にならないと言うことになり、中露では別に督戦隊と言う部隊を置くようになる

戦線を離脱しようとする兵隊を背後から撃ち殺すと言うのが督戦隊の役割であった

そうした部隊が敗走すると 戦闘によって死亡した兵士なのか自国の督戦隊によって殺されたのかわからない

それが中国大陸で日本の戦った戦争である

しかし、後世の我々はどこまでがその戦闘の実態だったのかは知るよしもない

 

 日本国内の歴史でもなんとなく成立している現在の視点で過去の人物を評価しがちだ

中学の教科書にも載っている

 田沼意次の賄賂政治であるが これには信憑性は無い

日本の歴史教科書には江戸期の三大改革として、享保の改革寛政の改革天保の改革というものが挙げられているが

いずれもその前の時代の金融緩和から引き締めに走り無用の不景気を引き起こした失敗改革であるのだが歴史教育では好意的にみられている

この伏線は重商主義と農本主義である

三大改革はいずれも農本主義を標榜して農業に大きな負担をかけ、幕府の財政を損なった

農本主義を建前とする幕府はその当初から財政で行き詰まることは目に見えていた

戦国大名である家康は、重商主義を行っていた

実際に鎖国化していくのは、家光の時代以後で、後に鎖国が祖法であると言っていたのは誤りである

幕府官僚にインテリ(儒教)が増え、農本を主体とし商業を蔑む風が出来上がったためである

もう一つは、幕藩体制がうまく機能しほぼ自給自足経済が成立していたというのも背景にある

しかし税金が米であるというのは 成熟社会では税収が相対的に縮小するということを意味する

 

 

つまり商品作物や工業商品の流通規模が大きくなれば、幕府は自然に貧乏になる

その事態を変えようとしたのが享保の改革の前に現れた荻原重秀、寛政の改革の前に登場した田沼意次である

彼らはいずれも貨幣経済を重視した

萩原は改鋳というマネーサプライの増加と通貨発行益を幕府にもたらす

元禄の艶やかな雰囲気は萩原の政策によるものだった

田沼も改鋳を行った また様々な投資政策も行なっている

この二名ともその後の新井白石と松平定信によって断罪されている

儒教インテリであった二人から見れば重商主義はもってのほか

悪貨を幕府が作り出すなど論外

(悪貨についても教科書の印象操作はひどく現在の紙幣は悪貨の究極の姿であることを教えない)

断罪者は儒学の理想国家である農本国家への回帰を目指し 質素倹約を政権の第一条としたのである

結果はより一層の幕府の凋落を招くことになり、後の世には萩原と田沼は悪党であるという評判を残す

白石は(折たく柴の記)で萩原を断罪 松平定信はゴリゴリの儒教家で田沼時代を全否定し綱紀粛正を図る

このために (白河の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき) という狂歌が詠まれるようになる

天保の改革は頓挫した寛政の改革の再発で やはり庶民の不満を買う

つまり江戸期の改革は、農本主義への回帰で幕府の力を大きく損なったものであると理解した方がいい

ところが学校教育も相まって改革の正当性が強調される

萩原はあまり有名ではないが、田沼意次は賄賂政治家としてのみ名を残すことになった

つまり、史実というものは いくつもの印象によって糊塗され 違った意味合いのものとして記憶されているのである

 

 

日本における最悪の印象操作は戦争のことである

自分も小学校の頃に軍国主義と言う言葉を習った

戦争は軍国主義によって引き起こされるもので戦争は二度と引き起こされてはならないといった戦争理解を植え付けられていた

だから、自衛隊を見れば軍国主義で戦争の火種であると言うのが当事の学校の先生たちの正義であり、こどもにもそう教えていた

しかし、物心ついて様々なことを見聞きするようになると、日本の悲惨な戦争は、軍国主義と言うよりは無能な官僚主義のもたらしたものだと思うようになった

また軍国主義が戦争を引き起こしたのではなく 戦争が軍国主義を作ってしまったという経緯についても気づいた

というのは、日本は少なくとも昭和一桁あたりまでは、普通の国であったことが背景にある

 

 

しかし一方で、軍部は、満州権益を守るために政治的暴走を続けた

理由は日露戦争の血で得たものを簡単に失うわけには行かないという論理から日中戦争に踏み込んでいく

時は不景気の最中、国民が軍部が満州をテコにした景気浮揚幻想に踊らされたこともある

結局、日本政府は軍部に対して何もいえない状況を作ってしまう

それを後押ししたのは、主要メディアと庶民である

政治は難しいことを言って国民を豊かにしてくれ無いが

軍部は景気のいい話をして実際に満州景気を演出してしまった

日中戦争あたりまでは、日本は盛んに膺懲という言葉を使っていた

シナを懲らしめるという姿勢である

約束は守らないし簡単に暴発するのが当時の大陸観であった

それは大陸の一つの文化のようなものであるのだが、そこに日本の倫理観を持ち込もうとした

そのことが後の悲惨な戦争を作り出した

軍隊というのは物理的に不可能な戦争をしないのが鉄則なのだが、そういう感覚が軍隊自身にも欠落していた

そのことは、現在の官僚育成システムにも当てはまる

断片的で総合的な評価を欠いた育成システムが 日本の参謀本部を国際情勢オンチのただのゲーム屋にしてしまった

そして、生真面目な日本が悪く出た

通常 軍隊は兵卒の二割も戦死すれば戦争は停止しなければならない

組織的な運用ができなくなるからである

しかし、生真面目な日本の兵卒はどんな理不尽な状況に追い込まれても戦いをやめない

 

 

戦いをやめることができない現場

戦争を兵棋演習の延長として理解していた参謀

戦意高揚を書き続ける新聞(これは強制されたというよりは戦勝記事が売れたため)

そして損切りのできなくなった関東軍

それが日本の軍国主義の姿であった

 

 

これらは今の日本にも通じる姿である

軍国主義がいけなかったと 自衛隊を解散し 全てを不戦の下で外交交渉で解決しなればならないと盲信しても

その悲惨な戦争の種は自らが内包したままであることを 戦争反対を叫ぶ人々自身が理解していない

その無自覚を作り出しのは、学校で教えられた軍国主義戦争誘導論という歴史理解である

 

歴史に学ぶこと

そこには様々な罠があることをよく理解してから 学ぶべきであろう