まずは、ネットニュースで出ていた【セクシー田中さん】の作者芦原さん死去2024年1月29日死去判明)に関する記事をXでリポストしたものをここで貼る。

ネット記事のアドレスを直接ここに貼ろうとすると、なんかおかしな感じになるため、このような形となった。


https://x.com/notole23hantaes/status/1753741821690442094?s=46&t=X9S-e0mvjyxKgSvQI1DgTA


ここで貼られたものは、先日死去された芦原先生の訃報を受けて、同じくドラマ班とのいざこざがあった、【海猿】の作者の言葉を引用されている記事である。


 海猿作者は特に関係ないのだが、一応。

で、ことの流れとしては、元々小学館から発行されていた雑誌の漫画連載であった【セクシー田中さん】という作品のドラマ化がそもそものきっかけであった。

残念ながら、この作品のことは知らなかったので、タイトルを見た時は「下ネタ系?」などと思ってしまったが、ウィキペディアで調べたら、そういう系統ではなさそうであった。

調べた限りのストーリーとしては、表向きは地味なOLが、実は夜に妖艶なダンスを踊っていたのだが、それをある同僚に知られてしまい内緒にしていてほしいと頼んだところから話は進んでいく内容のようである。

とまぁ、私自身どんな内容かわからなかったので、作品に関する内容を一応載せておいた。


 さて、そんな【セクシー田中さん】のドラマは去年の12月末に最終回を迎えたわけだが、明けて1月、元旦早々から地震だの飛行機事故だのいいニュースでは堂本剛さん結婚という衝撃ニュースやらで、世間がワラワラしていたから出すきっかけを見失っていたのかもしれないが、ドラマ放送終了後何日も経った1月26日に芦原先生が、このドラマに関してのつぶやきをXと自身のブログで出したそうだ

内容としては、「原作に忠実に等の取り決めが守られなかったことにより、最終話とその前の回のドラマ脚本を原作者自身ですることになった

というものだったようだ。なお、上記文章は、かなりまとめて記載してるため、細かい点が違うかもしれないことは、ご了承いただきたい。

なんにせよ、ドラマ班と作者側との意見の相違があり元々する予定のなかったドラマの脚本を作者がすることになったという話だ。

で、テレビでは全く放送されていない(たまたま見かけてなかったのかもしれないが)、ネット情報なため真偽の程はわからない新情報があった。

どうやら、ドラマ側の脚本家が〝最終回とその前の回の脚本は、原作者が言い出して原作者が(脚本を)した〟という感じのコメントを、自身のインスタかなんかで発信していたらしい。それも、芦原先生がつぶやくよりもはるか前に。なんならまだドラマが放送されていた頃に発信していたようだ。

このことが事実なら、原作者自身も自分の想いをネットで発信したのかもしれない

あるいわ、ファンやアンチから何かを言われたのかもしれない

理由は今となっては闇の中だが、一度はドラマの脚本に関するコメントをしたという事実は、紛れもなく本当のことのようだ。


しかし、この時の芦原先生のコメントが元で、どうやら本人の元やあちこちで炎上していたとみえて1月28日にはこの投稿は削除されて「別に攻撃がしたかったわけではなかった。ごめんなさい」という文章を残し、そのまま行方不明になり、明けて次の日の29日に芦原先生の死亡が発見されたという。

そして、テレビでは見かけていないが、ネット情報によると、自宅に遺書らしきものが見つかったらしい。具体的な内容は不明である。


調べて分かった範囲内での前置きは、とりあえずこのぐらいである。もちろん多少の割愛はした。

本題はここからである。今回の件に関して、私自身が思うところをいくつかに分けて述べよう。


1.自殺することとなった理由と原因

 芦原先生の自殺の理由に関しては、もしかすると遺書に書かれているかもしれないが、あえて推察してみた。というか、これに関しては誰もが想像できるだろう。

自分が発信したコメントに関して、多数の人に誤解を招いたことに関しての自責の念

おそらく大きく表すとこういうことなんだろうと思う。

もっと踏み込んだ感じで考えるとするなら、〝自分の発言でいろんな弊害を出してしまった、自分自身が嫌になってしまった〟のかもしれない。

理由としては、おそらくこういうところなのだろうと想像できるだろう。現に自分がしたドラマの脚本の話のコメントを削除していることが、何よりの証拠のような気がする。


さて、自殺するという道を選んでしまった原因としてはどうだろうか?

一つ述べておくが、私は〝理由〟と〝原因〟は、時として別物である場合もあるという考え方である。

そういった意味では、自殺の原因はなんだったのか?を考察してみた。もちろん、大まかな原因は、本人の呟きで間違いないのだが、はたしてそれ一つだけだろうか?

人が自分自身を殺すときには、さまざまな理由があるだろう〟というのが、私の考えでもある。

誰だって、簡単に自分を殺そうとは思わないだろう。我慢して我慢してそれでも道が開かれずに自らの命を捨てる人がほとんどではなかろうか?

芦原先生の場合はどうだったのだろうか?


最初に出していた〝ドラマの脚本〟に関するコメントを出した時、騒ぎになるとは思っていなかったのかもしれない。ちょうど地震の話とか政治家の話とかで世の中ワチャワチャしていたし、ネットニュースには取り上げられても、それほど大きくなるとは思っていなかったのかもしれない。

ところが、蓋を開けてみたら、自分が思っていた以上の反響があった。それも悪い方で

そこで、芦原先生は元のコメントを削除して「攻撃するつもりじゃなかった」という文を残した。

この〝攻撃するつもりではなかった〟というのが、自殺の原因となった要因の一つではないかと思う。


芦原先生のドラマ脚本に関するコメントに関して、ネットニュースや2チャンネル系とかで、好き勝手述べていた人が多かったのではなかろうか?もしかすると芦原先生自身への攻撃もあったのかもしれないし、日テレやドラマの脚本家に対するなんらかの攻撃があったのかもしれない。私に対するアンチもそうだが、自分が正しいと思うと、発信者本人ではなくとんでもないところに飛び火する場合もある。(私の場合は、区役所に対して苦言を呈した奴がいたが……)


そういった、周囲の勝手な思い込みや勝手な行動が原因となった可能性もあるのではないかと思う芦原先生の代弁者気取り もしくは 芦原先生のアンチが好き勝手やりまくった事がきっかけで、

私は攻撃するつもりではなかったですというコメントを残させることとなったのではないだろうか

そして芦原さんがコメントで「ごめんなさい」と述べさせることとなったのではないかと思う


芦原先生は、事前に脚本家の人が述べてたことに対する反論かどうかはともかく、〝どういう経緯で脚本をすることになったのか〟という事実だけを述べたかっただけなんだと思う。それを周りの人間が変に解釈した結果炎上し、芦原先生に罪の意識を感じさせてしまい、自殺という形で自分自身を殺してしまったのではなかろうか。言ってみれば、心無い(心があるようでいてない)無責任なネットのコメント等が、芦原先生を殺したのではないかとさえ思う


時に言葉は人を簡単に殺すことができる

これは、誰かが言っていた言葉だと思うが、まさにその通りだなと思う。

細かいところで言うと、他にも原因となりそうなものがあるが、それは別の項でそれとなく。


2.原作者の想いとドラマやアニメにおける立場

 さて、この項からは少し趣向を変えよう。この項では、そもそもの発端である、漫画からドラマ化へと流れる時の問題点等に関する話


ファンはもちろんのこと、原作者にとっての夢見る未来といえば、おそらくドラマ化やアニメ化であろう。普段は平面上の動かない紙の上での物語が、実際に映像として動く時の感動はたまらないものがあると思う。大袈裟でもなんでもなく、そしておそらく断定してもいいぐらい、ドラマ化やアニメ化は関係者全員が待ち望んでいることだろう。


ただ、昔からこういったドラマ化アニメ化には、問題が多く発生しやすい。例えばこの記事の冒頭で貼った記事にある、【海猿】の作者なんかもそうだ。ドラマ自体はさほど問題はなかったのかもしれないが、その後の不義理な行為が作者を怒らせることになり、作者の信頼を失った。

はたまた伝説の【キャンディキャンディ】と言うアニメにも、騒動があった。

そして今回の原作に忠実ではないドラマの脚本問題。この、ドラマだけに限らず、アニメに関しても脚本で原作とは違う感じにされるケースは、よくある話であろう

もちろんそれがうまくいくパターンもあるが、うまくいかない場合もある。

私が昔読んでいて全巻持っていた【サザンアイズ】の作者高田裕三先生も、とある作品のアニメ化に関していい印象はなかったと言う。というか、結構揉めていたと思う。結局アニメは強引に放送されたんだったかな?

このようにいい意味でも悪い意味でも、原作を改変することはよくあることなんだと思う。ま、中には原作者は良くても原作ファンが困惑したり反対した作品もあったが……


もちろん、公共の電波で流す以上、そして昨今のコンプライアンス関係のことを考えると、改変する部分があっても仕方がないのだと思う。少なくとも昭和ほどの気軽さがないのが今の世の中である。(昭和に放送されていた【じゃりン子チエ】や【カボチャワイン】等再放送できそうにないアニメやドラマの多いこと……)


そのため、慎重になりすぎるぐらい慎重になり、その分より良いものを放送したくて改変してしまう気持ちはわからないでもない


しかし、今回のでいえば、あまりにも原作者の想いを置き去りにしすぎたのだろう。とある番組で述べていたのだが、原作者とドラマの脚本家が直接話し合っていなかったという。

もし今回のドラマ化の時に、脚本家と原作者 そして双方の関係者数人とがオンラインでもなんでもいいから、直接顔を突き合わせて話をしていれば、これほどの問題は起こらなかったのではなかろうか?

もちろん、原作者と脚本家が激しく喧嘩してドラマ化の話自体がなくなる危険性もある。だが、そこまで至るほどであるなら、もし直接会って話をせずに勝手に話を進めていたら、どっちみちもっと酷いことになっていただろう。確か、昔 原作者とドラマ班側とで裁判沙汰にまでなったことがあったような?


どうせ揉めるのなら、早めに双方の意見を出し合い無理そうなら撤退するか、どっちかが身を引くようにするのが一番だったのではなかろうか


揉めてドラマ化とかアニメ化が白紙になった時、おそらくというかほぼ確実に局側とか偉い人からの圧力があるのかもしれないそれは局側や偉い人の勝手な都合であり、その企画計画自体をある程度長い目で見られる環境にしてあげていればいいのではないかと思う

撮影とかは最悪放送数ヶ月前からでもできるわけだし、まずはある程度長く原作者と脚本家 そしてその関係者数名で話し合って、しっかりとした形を整えてから行動していれば、ここまでの騒動にはならず、人一人死なずに済んだのかもしれない


それは、芦原先生だけに限らず、今後の初ドラマ化初アニメ化の場合でも同じことである。何事も余裕を持って行動するのが一番である。


3.原作者への担当雑誌関係者のフォロー等はあったのか?

 芦原さん自身がどれほど心の弱い人なのかは、完全にはわからないにしても、ドラマ化に差し当たって、原作連載中の雑誌社や担当者たちは、何かしらのフォローとかアドバイスとかを芦原さんにしていたのだろうか?

芦原さんの行動を見るに、そんなフォローとかはなかったのかもしれない気がしてならない。

何より不自然なのは、そんな雑誌社からのコメントがあまり見受けられないことである。たまたま私が知らないだけかもしれないが、もしも本当になんの反応もないのであれば、もしかするともしかする……ここからは、次の項にも関わる話なので、一旦この項ではこの辺で。

ちなみにこの記事を記載している間にフジテレビの【ワイドナショー】にて出版社側のコメントも放送されていたのだが、なんだか違和感を感じる内容だった。攻撃をするようなコメントを差し控えていたのだろうけど、それにしてはちょっと原作者に対して冷たい感じがした関係性は希薄だったのかもしれない。少なくとも週刊少年ジャンプと富樫氏との間のような(何年も連載休載していても全然大丈夫なぐらいの)良好な感じは微塵も感じられなかった)


4.本当の友人やちゃんと話のできる相手がいなかったのでは?

 芦原先生の周辺には、少なくとも〝先生が生きる目的となる〟友人や相談できる人がいたのだろうか?いなかったのではないかという気がする

もしそういった存在がいたなら、そしてそういった人に相談できていれば、自殺という決断をしなかったのではなかろうか。少なくとも、〝その人のために自分は生きる〟と思えるような人はいなかったのかもしれない

もちろん、そんな出会いはなかなか難しいところがある。しかし、そういう人がいたなら、少なくとも少しは躊躇していたのではなかろうか。現に、最後のコメントをしてから死亡確認されるまでの期間があまりにも短すぎるおそらく最後のコメントをしてすぐに自殺をしたのではなかろうか?

ほぼ躊躇することもなく自殺できたことが、芦原先生と周囲の人との関係性の希薄さを物語ってるように感じられてならない

もちろん、ただの推察であり、断言するつもりはない


5.相変わらず意味のない《自殺者救援ダイヤル》等

 ここでちょっと最後に行く前に、本当に別の話になる話を。最後のやつがあまりにもなので、ここで先に。

相変わらず自殺者救援ダイヤルなるものが、〝自殺者が出た時にだけ〟紹介されていたが、以前にも述べたが全くもって意味がないこの宣伝を見るたびに、ちょっと嫌な気分になる。確かに自殺者の存在で即発されて自分も自殺するって可能性もあるかもしれないが、そもそも自殺を考えてる人がテレビを見てるとは思えないし、見てたとしても必ずしも〝自殺者が出た時に自殺を考えるほど悩んでいる〟とは限らない

こういうのは、毎日毎時間出さないと意味がなかろう。無意味なCMなんか流すよりも、自殺を考えるほど悩んでる人向けのダイヤル紹介を毎日毎時間した方が、よほど建設的だし効果的だ。


ただ、このダイヤルが効果的なのは〝いじめやパワハラ、産後鬱〟等で悩んでる人だけではないかと思う

芦原先生のように、自責の念に駆られた人の助けになるとは思えないのだ。

なぜなら、芦原先生のように自責の念に駆られた人の場合、決して変えることのできない現実で思い悩んでいる以上、どんな言葉もどんな行動も響かない可能性が高く、ましてや逆効果になる可能性もある

私も自責の念でかつて2回自殺を考えて遠くを彷徨っていたことがあるから、多少は芦原先生の気持ちがわかる気がする。もちろん、本当のところは本人にしかわからないことだが、私自身誰かに言っても意味がないとわかっていたように、芦原先生も自分の想いを打ち明けたところで、どうすることもできないとわかっていたのかもしれない。前向き思考の人からすると、そう思い込んでいたというところか。

かつ、そういった自責の念に駆られた時に心の支えとなる存在が本当にいなかったのかもしれない

もしかして、彼女はずっと一人だったのではなかろうか?


6.作品に対する本当の愛情とは

 さて、最後に完全に炎上されるのを覚悟の上で、結論から述べよう

芦原先生の気持ちはわかる。わかるがあまりにも無責任であり、本当に自分の作品を愛していたのか?と思う

私自身かつては小説家を目指して作品を自分の中で生み出し続けていたから、自分の生み出した作品に対する愛情やそこに関しての強いプライドのようなものは分かるつもりである。しかし、私なら、どれほどのことがあろうと、自分の作品を完結させるまでは自殺しないだろう本当に愛しているからこそ、中途半端に放置はしないだろう

なのに、芦原先生は、愛してるはずの自分の作品を完結させることなく、結局自分の都合を優先させてしまい、自分の作品を放置したまま死に逃げしてしまった

炎上しそうなのを承知の上で述べる

あまりにも無責任である

もちろん、そんな無責任になるほどに冷静さを失っていたのかもしれないが、やはり、最後の決め手は、自分の自責の念を優先させるか自分が愛していたはずの作品を完結させるかの二択のどちらを選んだかということ


もちろん、彼女の心境を思わないつもりはないが、せめて作品をちゃんと完結させてから行動してほしかったもしかしたら、その間に考えが変わっていたかもしれないのに……


芦原先生の欠点は、後先考えず、もしくは何かあった時の責任の取り方を考えずに行動してしまうところだったのかもしれない

少なくとも、最初のつぶやきや作品を完結させることなく自殺を選んでしまった行動は、考えが至らなかったのではないかと思う。


大体、ずっと連載とかし続けていたかったのに不慮の事故や病気で死んでいった作家さんや、続けたくても続けられない作家さんがいる中、五体満足なのに自殺という実に甘美で簡単な道を選んでしまったことは、本人はあの世で十分反省すべきなのかもしれない




まとめ

芦原先生の自殺は、彼女自身の自責の念と周りの人間(ネットの反応やドラマ班や局、出版社)の勝手な行動や言動と冷たい対応・コミュニケーション不足が原因。

しかし、作品未完成という責任に関しては、彼女自身の責



というところで、今回の記事は以上!