”責任感”→”一部訂正”
>神様は乗り越えられない試練を与えない。
違うことに気付いた。
試練を考えるのは魂のときの自分で、その試練を神様が乗り越えられると判断して生まれ変われる許可をもらっていたんだよな。
だから、乗り越えなれなかったときは神様の責任ではなく、神様の判断ミス。
そして魂のときの自分が自信過剰だったってことだ。
「最期だと分かっていたなら」
これはオレが生き残った側ではない。
むしろ逆。
最期だと知ったオレは、どんな行動で誰かのために役に立てるだろうか。
そんなオレの心境など誰も知らなくていい。
あとで誰かが、
『あの人のお陰でまた笑えることができたね』
と、そう思ってくれるだけでいい。
誰もオレのことを引きずる必要はない。
今を生きて、これからを生きてくれたらそれで十分だ。
笑顔でいてくれたら満足だ。
オレが人様の役に立てるい生き方は、もうそれくらいしか残されていない。
「誰かのために」
無論、精一杯生きることを諦めるつもりは毛頭ないが、死期って分かっていた方が今よりもっと全力で生きると思う。
責任感
今日は神様にお願いをした。
神様は乗り越えられない試練を与えないとか。
ならば願う。
その乗り越えられるかどうかのギリギリの試練を与えた神様にも《与えた責任》を伴ってほしいと。
乗り越えられなかった場合は、オレひとりの責任か?
違うだろ、与えた神様にも責任はあるだろう、と。
そんな試練で自分を保てるかどうかも分からんような試練を与えるなと。
与える以上神様も一蓮托生だろうと。
でも神様の責任の所在は分からない。
こちらは間違いなく痛手を負うのに…。
神様、ずるい…。
神様の境涯が下がり、この物理的な世でも分かる術があれば、オレも納得するのだが。
天に向かって唾を吐いてごめんなさい。


