「究極」のマインドフルネス

みなさん、こんにちは。リレーショナル・マインドフルネス コミュニケーターのヤスです。
マインドフルネスとは「今ここをありのままに心で観察する」技術です。リレーショナル・マインドフルネス※は、そこに「関係性」の観点をとりいれ、関係性そのものを満ち足りたものに変化させることで毎日を豊かにしていきます。
(※)リレーショナル・マインドフルネスは、マインドフルネスに日本で生まれた教育技術nTech(認識Technology)を採り入れて発展させたものです。
 
今回は前回に引き続き、この「マインドフルネス」の本質に迫っていきます。

前回ご紹介しました長岡美紀さんの記事から紐解いていきますので、まだ記事を読まれていない方は、こちら下差しをご覧ください。
〈長岡美紀さん2月9日Facebook記事より〉

マインドとは、ここでは脳🧠のことです。
つまり、脳の限界を突破していくこと。
別の表現をするなら、脳機能をアップグレードしていくことです。

ヨガや修験、坐禅などの肉体を道具にした修行法でマインドフルネスに到達した人達は、これまでにもいましたし、今現在もいるでしょう。

では、改めて「マインドフルネス」とは何でしょうか?
日本マインドフルネス学会では、マインドフルネスを「“今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること” 」と定義しています。ここで言う“観る”とは、「見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる、さらにそれらによって生じる心の働きをも観る、という意味」だとされています。

「究極」のマインドフルネスから「観る」と、実はこの定義はマインドフルネスの一部であって全てではありません。

なぜなら「体験」から出発した「観察」だから。体験とは「体」、つまり人間の5感覚と脳を前提にした経験に基づいているため、必ず限界がきます。そして感覚だけを拠り所にした方法で究極のマインドフルネスに到達しようとすれば、数年から何十年という時間がかかります。
また、「心」を「思考」や「感情」の範囲で捉えていることにも限界があります。思考や感情は心の一部であって全てではありません。

誤解のないように書くと、私は日本マインドフルネス学会の定義を批判したいのではないのです。
「究極」のマインドフルネスはもっともっと広くて深い、そのことを伝えたい。1人でも多くの人に究極のマインドフルネスに出会ってほしいだけなんです。

究極のマインドフルネスに出会った人なら、究極のマインドフルネスは「概念の一掃!=無がリアリティである!=現実はVRだ!=体はアバターである!」という長岡美紀さんの言葉の意味と、それぞれの言葉がイコールの関係性で結ばれている意味がわかります。
逆にこの言葉の意味とそれぞれの言葉がイコールで結ばれている関係性を想像できないのなら、あなたはまだ究極のマインドフルネスに出会っていないか、理解できていないのかもしれません。

nTechは肉体を道具にしたこれまでの修行とは全く逆のアプローチから最速で究極のマインドフルネスへたどり着くことができます。
全く逆のアプローチとは、肉体という人間の5感覚と脳を頼りにするのではなく、誰もが理解・納得できる論理とイメージでアプローチしていきます。つまり、nTech(認識Technology)とは、真実をわかったところから、なぜ・どのように目の前の現実が生まれるのか、その仕組みを理解して現実を自由自在に創り変えることができるようになる技術です。

是非あなたも「究極」のマインドフルネスに出会ってくださいニコニコ