ほんとうに皆様に迷惑をお掛けしていますが、先日久しぶりに記事をUPしたところ・・・

トラックバックが付きました。しかも現在5件も!


でも、というかやはりみんな宣伝。それもアダルト系ばかり。

もう手当たり次第に、トラバしているんでしょうね。ご苦労なことです。もちろんアクセスして貰わないと、成り立たない商売でしょうから、必至なんでしょうね。

そうでなくても、人気ブログにはトラバが沢山付きますが、ほとんどが話題のリンクではなく、自分の所に着て欲しいからという魂胆が見え見え。


約10年前に、パソコン通信という手段で、パーソナルコミュニケーションを始めました。フォーラムという物を立ち上げたり、手伝ったりして、システムの改善を要求しながら、可能性を感じ、少しは成果も出しました。

インターネットという「自由で広い」世界に、結局は負けたのですが、当初感じていたインターネットへの違和感が大分具現化してきた感じでしょうか?今は。


ツールは淘汰される物。でもその基準は何なんでしょうか?

ネットを否定どころか、すごく歓迎している私だからこそ感じてしまうのでしょうか?

すごく久しぶりの書き込みです。私の誕生日以来ですので、4ヶ月以上も書き込んでいなかったことになります。その間も何人もの方が訪れてきて頂いてたことは、チェックして知っていました。

ほんとうにすいません。


実は、その8月末に私の愛読していたブログが閉鎖されました。

一般の方が書いておられたブログです。

そこの閉鎖はすごくショックだったです。

閉鎖そのものより「ブログ」というシステムに対し、分からなくなりました。


また、ある愛読していたブログも、その頃からランキングを明らかに意識するように、なってきました。


とにかく、いつかまた以前のようなペースで書くことが出来る日が来るかも知れません。

もしかしたら、閉鎖してしまうかも知れません。

すいませんが、今は何も分からないんです。


shade


平安の祈り

神様私にお与え下さい。
変えられないモノを受け入れる落ち着きを
変えられるモノを変える勇気を
そして、その二つを見分ける賢さを

またまた、一気に読むことの出来ない本に出会いました。



uraniwa


梨木 香歩さんの「裏庭」です。

梨木さんは、「西の魔女が死んだ」で有名ですが、その作品以上に「重い」です。


ファンタジー(理想、夢、憧れ)と現実のギャップって、誰しも悩んだり、気が遠くなったりするものですが、梨木さんの作品に共通するのは、それらを摺り合わす苦労をまっすぐに描いた上で、共存する手法を示しているような気がします。「死と狂気」(渡辺哲夫 (著))とは違った手法で、すごーく闇の部分を照らしてくれるような。


一気に読めないと言うのは、ハードすぎて。

主人公の深層心理以外にも、世代連鎖、仲間とのしがらみ、親子、自然と壮大(ハリウッドや大河ドラマ的な壮大さじゃないですよ、全然意味が違います。)に読んでいる内にくらくらしてしまいます。


読んでいる内に早くなる自分のハートビートを落ち着かせないと、


ただ、これも主人公や大事なポジションにいる登場人物は、女性なんですよね。

いや、認めます。女性の方が物事をしっかりと見て、しっかりと対応するって事。

だからこそ、生きていくのが大変なんですよね。

ところで、新しいドラえもんの声は、まだなじめないでおります。


と、何かと話題の堀江さんですが・・・・実は私はシンパシィを持っているのですよね。

(って勝手にこんな男に持たれても、本人さんは困るでしょうが)


彼って、ドラえもんなどの漫画で描かれている「夢のような生活が出来る未来」がホントに来ると思っているのではないでしょうか?で、そのかけらでも地震の力で創ろうとしているのでしょうね。

その行動が無謀さが、まわりの理解を得られないでいて、彼のプログラムには「まわりの理解を得る」というロジックが無いから・・・・どうするんでしょう。


でも彼ほど、事実(彼の主張、意見)を曲げられて報道されている人も珍しい。いや他の人ならまず怒るでしょ?でも彼の中では「マスコミは死んでいる」から、そんな死に体に何言われても気にしていないのでしょうね。


今はマスコミで取り上げる記事、特にインタビューなどはネットでカットされない原文(と思われるもの)を読むことが出来ます。すると少し前のブロードキャスティング買収の時も、堀江氏の意見ってすごく湾曲され報道される。でも「マスコミは死んでいる」→「マスコミは無くなる」と彼は思っているから相手にしない。


うーん、いさぎよいけれど・・・


で、まだマスコミを味方に付けた方が。、ヒジョーに有利な選挙戦に出ると・・・


でも(くどいけれど)、フィルターを付けずに素直に彼の主張を読むと、頷けることばかり。


彼のように新しい勢力の起業人には、小さな政府になって旧態を変えていった方が良いし、事実今まで小泉内閣が行ってきた構造改革は、良い方に作用してきたはず。するとその象徴である「郵政民営化」はなんとしても実現させたいだろうし、そしてどうせなら、反対派の本山に近いところから崩したくなるだろうし。


あと多くの人が知らないで驚くことに、堀江氏(ホリエモン)の仕事の内容があります。

10人に聞いて答えられる人は2~3人かな?

ライブドアは証券会社ですよ。堀江ファンドまで持つ、多くの人のお金を預かり増やすことが彼の仕事。

これも彼は何度も主張しているのに、マスコミでは「IT」で片付けられてしまう。

*このITの意味を知らない人が多いのには、びっくり!単にインターネット関連と思っている人もいる。いや笑い話ではなくて。


ただ、どうも彼は人を信じることが出来ないタイプのような気がします。だから全部自分でやりたくなると。

それはそれでもいいけれど、彼は彼をしたって働いてくれる人を、ねぎらうと言うことも知らないのでは無いかと、ちといらない心配をしてしまいます。

意識的に日にちが変わってから書いています。


0815、多くの終戦記念行事が行われたようです。報道もそのことが中心。


「終戦記念日」嘘ではないだろうし、そのことを忘れずにおかなければならないとも思います。

でも、日本を、日本人を中心に考えれば、「敗戦記念日」じゃないですか?


終戦と敗戦、そんな細かい違いを気にしない方がよいのでしょうか?


私は、大きな違いがあると思います。


日本は敗戦国です。60年前に日本の価値観は「敗戦」で変わった、変えさせられたのです。


敗戦→植民地化→独立

という道を進まなかった敗戦国は珍しいと思います。

当時この道を選んだマッカーサーさんと白洲次郎さんは、やはりとても頭が良く、誰よりも日本を理解していたのでしょう。


ただ、結果を見ると(つまり今の状況)どこかに誤算があったのかも知れません。

そこを誰か検証してくれないかな?

いや、時間が掛かっても自分で行うべきかな?

またまたモンダイジな女のモンダイな日々 様からのトラックバック


NHKの生討論番組 「じっくり話そう・アジアの中の日本」 見ていましたが、途中でやめました。

(根本的に私はテレビが嫌いな人種ですので、その辺差し引いて、以下は読んで下さい)


まず、参加者が付けていた名札に違和感。

日本人?日本に住んでいる人には、職業の肩書きが。そして他の国の人には国名が。

おかしくありませんか?日本人に何故「日本」としないの?

他の国の人の参加者の、例え職業でもその人の背景は関係無いの?

そして、その差はどうして?


多くの日本人が違和感を持ったでしょうが、やはり話題は「靖国神社」問題。

「討論になっていない」という指摘もありましたが、当たり前だと思います。

あれだけ多くの人や、多くの思想の影響を受け、それらを塗り重ねた施設は珍しいと思います。

ですので現在あの施設は、多くの側面を持ち、どれも正しく、どれも正確でないと言う、ある意味非常に現代日本を象徴するような施設になっていると思います。

ですので、あの施設については、例え日本人でも10人が10人異なった価値を持っていて(あるいは持っていなくて)それぞれが、その人にとっては大切なことになっているという麺が産まれてしまっている気がします。


政治家などの参拝に反対する人達の中に「靖国解体!」と言っている人達がいました。

なかなか面白い考え方だと思いました。

一度解体して、分裂させるとか、造り直すのは、言い考え方と思いました。


ちなみに私ですが、鎮守様のおられない施設を「神社」と呼ぶ事が、一番の違和感かな?

ビオラジョークってご存じ?  っとその前に「ビオラ」という楽器は知っていますか?

そう日本では、あの皇室の有名な方が弾いていたことで有名になりました。


ビオラジョーク 」で検索してみて下さい。はい笑えますね(音楽を知っていると、余計に笑えます)


昔からビオラ(やファゴット、チューバ)は可哀想な楽器だったみたいです。

*あっ楽器に罪はないから、弾いている人?の問題?

 いや、作曲家や編曲家の策略かな?


とにかく(何が?)

そんな楽器のビオラですが、数多くのビオラ弾きの方と出会っても来ました。

不思議と若い人も多いのですが、それなりの地位とテクニックを持っている人は、当たり前ですがビオラを愛しています。ジョークにされてしまいがちですが、音楽的に弦楽器の和声で重要な位置にビオラがあることは確かです。でも認められにくいと言うか、評価されにくいポジションです。


そんなビオラ奏者の方ですが、突っ込んで話しをすると(まあ、お酒を呑みながらと言うこと)尊敬出来る人が多いです。役割的にビオラでいつもまわりを気にしているし、気配りがよいと言うだけでなく、その配り方がすごいです。


でも、どこかにやはり愛すべく闇の部分を持っている人も多いみたい。

例えば、アディクションを持っていたりね。

まあ詳しくは必要ないですね。


なんか、そんなビオラ弾きに弾かれます・・・じゃない惹かれます。

モンダイジな女のモンダイな日々 様からのトラックバック


私は立っています。

足のことじゃありませんよ、物理的にではなく、私の心は様々な柱が支えていると言うこと。

みんなそうだと思う。ホントにいろいろな柱がある。

宗教観、倫理観から出来ている柱。過去の実績から来る柱。親などから引き継いできた柱。

その人が自分で立てた柱。人から貰った柱。

1本の太い柱を持つ人。数本の柱でバランスを取っている人。

それらの柱で支える「土俵」で考え、悩み、時に喜び、安心を感じ、時に苦しんで、悲しんで生きている。

この「土俵」が違うのは許されないの?違うよね、自分の土俵が他人と違うと感じると不安になるだけなんだよね。でも、柱が違うからとは考えないの?柱が違うと同じ土俵を創るのは無理だと思うよ。

まあ確かに、人と違う土俵を創ること自体恐いのか、柱そのものまで人と同じ物を求める、子供に押しつける親も多いけれど。でも、恐いだろうね、自分で造った柱がないと。


不謹慎な言い方をすると季節柄?

平和だの話題が多く見聞きされます。田口ランディ さんが言われるように、この「平和」って言葉に違和感を持つ私ですが、「お互い理解し合おう!理解し合えるように対話を持とう!相手の身になって考えよう!」・・・

などの意見も良く聞く季節です。


ちょっと待って「理解」=「調和」ではないでしょ?

理解し合おうと努力すると、協調出来る部分も見つかるけれども、相容れない部分も見つけてしまうでしょ?


「お互い尊重し合おう」「理解出来ない部分も尊重しよう」「相手の身になんてなれないということを、しっかりと忘れないようにしよう」(ちょっと不完全ですが)こんな言い方の方が、私はストンと受け入れ易いです。


柱が違うのだから、土俵が違って当たり前だと思うのです。

そして他人の土俵は、やはり居心地が悪いと思うのですよね。

自分の土俵を取り返すため、守るためなら、人は戦えると思います。いや、戦ってしまうと思います。


援助、開発、指導、協力、教育などの名目で多くの「介入」が生まれているような気がします。


介入も侵略の一つですよね。



Waikman

ちょっと前ですが、買ってしまいました。SONY NW-507 ネット限定のゴールドを。

数年前、やはりシリコンオーディオプレーヤーを買ったのですがその時は約5万円した記憶が、容量も1/20でした。今は良い時代だ。

しかしその便利さに慣れてしまった体は、ipodの訳分からないブームを尻目に絶対国内メーカーから良い物が出ると待っていたかいがありました。大満足です。

SONY独自のATAC方式は、MP3より高圧縮。音は少しパンチにかけますが、つややかさはこちらが上と感じます。ソフトやディスプレイのデザインをダウンロード出来るのも○ですね。

順調に回復してきて、もう通常生活がおくれると思っているんですが、

一つ自覚しているのが、体力&筋力の低下。

一日真面目に働くと、次の日まっすぐに歩けなくなる・・・・情けないです。


もう一つ、認めたくないけれど、きちんと向き合わなくては行けなくなった点が。


それは言語障害。


退院後良く口の中を噛むんですよ。食事中など。結構痛くて、腫れてくるし。

それとつばを上手く飲み込めなくて、むせることも。


そんなことは良いんですが、今日大勢の前で話す機会があって、ろれつが回らない!

もちろん、救急車で運び込まれた時より数倍ましですが。


もともと、どもりがちで早口、滑舌悪しという3重苦だったのですが。


先週、今週とお偉いさんが集まる場に出席しまして、先週はこらえておとなしくしていたんですが、

今週は我慢出来ずに噛みついてしまいました。でも、ろれろれした口調では説得力はもちろん出ないし。

でもそこはさすがお偉いさん、他の方の視線もあるので真摯に聞いてはくれましたが、私は自己嫌悪。


言語機能の再検査が必要かも?