ツンツン言葉っていう名づけよりも重要なこと | 不定期更新

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他愛もない話しにおつき合いください。

コンビニのレジ精算後、レジ袋に商品を入れてもらい受け取るのだけれど、その時に「ありがとうございます」って言う。

いい人ぶってるところもあるのだろうけれど、自分には実際に出来ない業務(経験談)なので、本当にありがたく思っている。

それを後ろに並んでいた高校生から大学生あたりのヤンチャ風(偏見かな)の子たちから あからさまに「キモッ」って言われた。

反応しなければよかったのだけれど、ついチラ見してしまったら、これまたあからさまに薄ら笑いをされた。

その子たちにそんな気持ちはなかったかもしれない。受け取った側の妄想って言われるかもしれない。

でも、普段から言われなくてもいい「キモッ」とか「ウザッ」とか聞いているので、そのストレスで反応しちゃうのだろうね。

聞こえなきゃ別にいい。

どう思おうとその人の勝手っていうのは今の流れ。

でも、音量調節が出来ない人が多いし言われた相手の気持ちが理解できない人も多い。

なにかの本で、オトナも含めてマウントの取りあい合戦をしていてキツイ言葉を無意識に使っているって書いてあった。

たしかに、オトナでもいる。何故そんな言い方をしますかっていう喋り方。

会話の話しだから一方的なことではない。

自分の場合、コミ障(単なるイイワケ?)だから、適切な言葉が選べない。話すこと自体でいっぱいいっぱい。積極的に話すこと自体、正直ハードルが高い。承認欲求じゃないけれど「よく話せましたね」って褒めてほしいくらい。それは提案にしろ愚痴にしろ意見にしろなんでも。

でも、だいたいが、自分の考えたらずなのか表現がヘタなのか、そもそも論点がズレているのか、「でも」「それって」などのいわゆる否定形で返ってくる。

「キモッ」にしても「でも」にしても、ちょっとした心遣いで言わなくてもいいし相手を傷つけないだろうなぁって思う。

まぁ、その本によれば、いまの世の中全体がマウント取りをしなくちゃいけない心境に、自分も含めて、追い込まれているのだろうから仕方がないのだろうって、自戒と自己弁護を含めて そう思う。

加害者意識(大げさな言い方だけれど)がないまま、人を傷つけて、でも被害者意識は高い。

よくよく考えれば、うちらバブル世代が若い頃に「何かを失った日本人」って言われていたから、そこは根深いモノもあるのだろうね。