8月の法話は
お休みでしたので
9月の『法話』です


⚫法話⚫

人間
『笑う』ということはね・・・
僕の主治医の先生も
やっぱり
『笑って頂くと
 体がすごく元気になる』
そうです。
ただ笑ってるだけでもいいから
元気になる自分を
想像してると
もっと善くなる!

年老いて
一番
増えてほしくないのは?
『病気』・・・やね
病気にかからないようにするには
さぁ何をしましょ?

病気にかからないように
するには何をする?

『過ぎない』
そう
過ぎないこと。
食べすぎない
飲みすぎない
とにかく『過ぎない』
年齢に合うた時間を
ちゃんと自分に
与えてあげる
ということが大切。

そして
私は
なぜここに
存続させて頂いているのか・・・
なぜ
生かせて頂いているのか・・・
ということを
重く受け止めることも
必要なんですけども
なんでこう
自分と
あの人と
この人と
生き方が違うんやろか・・・
感じ方が違うんやろか・・・

同じ親
同じお爺ちゃんお婆ちゃんがいて
同じ家庭で育ってるのに
『なんで私だけ?』という考え方
それね
優秀な人間であろうと
そうでない人間であろうと
考えることは同じなんです。
ところが
優秀で
すごく頭の回転が速い人は
『あ!これは自分にとって
 無駄、余計』というものを
はぶくことが
すごく速やかに早いです。

でも
そうでない方は
『なんでこうなったんだろ』
『なんでこうされるんだろ』
『なんでこれを
 与えられるんだろ』
『なんで私にはこれなんだ』
という
『受け身の言葉』として
受け止める人が
ものすごく多いです。

頭の出来る人というのは
『あ!これはこれ!』
『それはそれ!』って
全て
整える。
排除する。
『いる・いらない』
『する・しない』というものを
客観性をもってするんだけども

どうしても
受け身に
物事を考えてしまう人は
『病気』になんねん。

お前たちは
いずれ
こうなったことに対して
責任がとれるかどうか
よう考えて生きなさい。
って言うねんやんか

年老いた母親が
これをまぁ
木蓮上人のお母さんとしましょ
出来の良い息子
出来の悪い息子が
それぞれ居ました。

木蓮上人のお母さんは
とにかく
出来る者に対しては
対処するけども
そうでない者には
何をしたかというと
『ほったらかし』と
『口添え』ばっかりなんですよ

その子の考え方で
行動を取ろうとすると
『それは違う!💢』
『それはこうだ💢』
『あれはこうだ💢』
自分の
親の考え方を押し付けて
その子が自立しようとすることを
ものすごい邪魔するんです。
自分が今まで持っているものが
それが高いものであったり
高価なものであったり
その
高価な物
大切な物は
その人にとって
大切な物で
高価な物なだけ
なんですよ。
でも
それを受け継いだ者が
それが
いくら
高価なもので
大切なものであったとしても
自分が
使うものではなければ
彼には『不用』
娘にも『不用』なんですよ。

それを
私はこうだ!ああだ!と
口出しして
その子が自立しようとしてんのに
上から目線で
『こうしなさいよ!』
『ああしなさいよ!』って。

その人は
なぜか
というと
お金持ちやから
その子に
お金を使わせるのがイヤ・・・
と言うてるのではなくて
自分の持ち物で
自分の考え方で
その子の人生を
『支配したい』んですよ‼

その子の『自立』を促さない。

その子が
『そうしたい』と言うんやったら
『いいよ!そうしなさい』って
言えるようにせなアカン!

自分が
いつまでも生きてるような
影響力を与えるような
考え方しかない
愚かなんですよ
非常に。

『自分の意地』が
その子の
『発達』を抑えてしまってる
ということに
気がつかないと!
その子は
どんどん
どんどん
出来ないまま。

よく言うんです。
ここに
ご神託に来て
『親も言ってましたから
 これは親の言う通りに
 こうしないといけないんです』
って人。
『いや・・・ごめん
 そのお父様、お母様は 
 どうされたんですか?』
『いや父は
 もう亡くなって今は居ません。
 上に姉がいるだけです』

『じゃあ
 跡継ぎは貴方なんですよね?
 では
 貴方が
 この会社を存続するために
 何が必要かっていうことを
 考えて下さい』
そう言うと
彼は
今までの自分の環境に
あった『しがらみ』が
息苦しくて
イヤだったから
全て
自分のお城にしようとして
変えてるのに
『ああでもない』
『こうでもない』って
文句ばっかりしか
彼の道に
積み重ねていってないんです。

彼が
こうしようとしたら
『ガーッ』
彼が
ああしようとしたら
『アッーっ!💢』って・・・

あなたたちは
いつまで
彼のそばで
彼を『どういう風にしたいの?』
もっと冷静になって
私やったら
どうしてほしいかってことを
考えたら
彼に何を与えるべきか
よう考えなアカン!
それが
娘であろうが
彼であろうが
同じですよ。

でね
私なんてまだまだ・・・って
自分がやってきたことに
人と比べて
自分は出来ないことが多い・・・
私は
これが出来る
あれが出来るって
思ってきたけど
結果的に出来なかった・・・って。
『出来ないことを数えるな!』
出来ないことを数えたら
誰でも
いっぱいあって
出来ないことの方が多いやろ?
なのに
出来ないことを
数えて
足し算して
苦しむ人が
今、多い。

『出来ること1つを
 しっかりやればいいです』

出来ることをしっかりやる!

仏、神は言う。
この世の中に人として生まれ
人として生きたことは
最大の喜びである。
最大の祝福である。

最大の喜びと
最大の祝福の中に
生まれてきてるのに
己れの人生を
『苦しみ』に変え
『悲しみ』に変え
『喜び』とはほど遠い人生を
生きる者もいる。

なぜ
自分が満足した人生にならんのか?
ということを考えたら
『二つの道』があるんです。
同じ時間
同じ教科書
同じ先生から
学んでいるのに
二つの道
なぜ
『出来』
『不出来』が起こるんや?

それは
『自分が学んで物事を理解する』
ということを
『自分で遠ざかってきた』人間が
今、
自分の人生を
満足するということのない人生を
生きている
ということになるんだ。

イエス・キリストが言う。
『汝よ
 苦しみは
 お前の苦しみではなく
 お前の苦しみは
 我れの苦しみである』と言うて

あなたの罪も私の罪です。
私があなたに
そういうことをさせてしまった
という『身代わりの精神』
持てよ
『慈愛を』

でも
人間って
これを重ねていけば
凄い『聖人者』ばかりですよね
争いのない
侮蔑、差別、区別のない世界に
人間は
なっているはずなのに
自分が命をかけて育てた子ども
自分が愛した者から
授かった命を
自分の『第2の命』として
授かって
産んでいるのにも
かかわらず
『私の想いが子に通じない・・・』
『私の思ったようにならない・・・』
これ
なんでやねん?

こういうことに気づかず
自分の我が儘
自分の考え
自分のやりたい
自分の好きなことだけを
していると
こうなるんや!

母が生きてるんやったら
『母よ育ててもらって
 ありがとう』
母が納得するような職業に就き
母が納得するような嫁を頂き
母が納得するような家庭を
私は築きましたよ‼
というような『現実』がほしい・・・
そうなれば
私は『しあわせ』って思いたいと
思ってはるんやろうけど
なぜ
私たちは
自分が思ってるのと違うことが
起きると
不平、不満を言うやろ?
『こんなんでなかったはず・・・』
『これのはず、あれのはず・・・』
なぜ
その我が儘を
己れの努力のなさを
『おかんのセイや!』
『おとんのセイや!』って・・・
いや
ごめん、ごめん
あんた
『自分のセイ』は無いんか?
自分で
それをしてきませんでしたか?
 
『今の自分』で
親に『恩』をいつ返せる?
今の生き方
今の考え方で
いつ
親に『恩を返せる』?
安心して
いつまでも駄々をこね
いつまでも我が儘を言い
いつまでも
自分がこうなったのは
親のセイだ‼と言い
いつ
自分の命をかけて 
育てて下さった親に
『私は貴女の子どもで
 良かったです』と
安心して天上界に行って下さい!
と言える自分を
いつ
つくるつもり?

年老いたからって
遅いことはないんですよ!
『自分のしてきたことを』
サッと
懺悔して
亡くなられた父、母が
おいでになるんだったら
『お父さんお母さんごめんね』って
『至らなかったわ・・・』
ということを
『私、今、気づかされました』と
お墓の前で
懺悔できる人間でないとダメです。
その
懺悔に気づいてるのに
また
何ら
変わらない生活を
送っていく自分を
『戒めなアカン』

『戒める』!
何を・・・
自分都合に生きてきた人間ほど
『戒め』が強いんです!
それを
みんな
言う
『我が儘だから・・・』という
単純な言葉で
それを消してはるけど
『我が儘を許される』のは
母親の
お腹にいるときだけ!なんですよ
お腹から
いったん出たら
まだ 
産まれて間もない子が
『微笑み』を浮かべるのは
何や思います?
幼い
まだ8ヶ月、9ヶ月の子が
なぜ
ニコッと笑うか
知ってますか?
微笑みの強い子・・・
赤ちゃんほど
『防衛本能』が強いんですよ。
己れを防衛するがために
ニコッと笑うんですよ。

産んで頂いたからには
生きなんばなりません。

『死ぬ』ということは
決して
悪いことじゃありません。
私たちは
みな
いずれ
『死にます』
でも
もう一度言います。
あなたは
死ぬときに
『どういう人生でしたか?』と
言われたときに
『私は頑張って生きました!』と
言える人生じゃないと
ダメじゃないですか?
どう思う?
そう思います・・・
じゃあどうする?
頑張ります・・・
何を?
生活を・・・
生活だけでいいか?
・・・

生きる!
『生きることを頑張ります』
って言わなアカン!

生きる!
何を?
今を!

『生きる』ということは 
しんどくて
辛くて
悲しくて
苦しくて
金のかかることなんや!

だから
しっかり
お金をつくる!
お金は貯めるんちゃうで!
お金はつくるものです‼

はじめに言いましたが
人間は
過ぎたるは及ばざるが如し
自分の今の戒め
自分の我・・・
自分の欲だけで
自分の子孫を
牛耳るな!

子どもの
足りないところを補うのは
父、母、当たり前。
でも
それを
コントロールしてしまうと
彼の自由
彼女の自由
それを
奪ってしまってるんだ。
ということに
気がついて下さい。

それと
お墓参りは行って下さいよ!
9月は彼岸
おはぎを食べて
お墓参り
行って
懺悔してきてくださいね!

自分が
やり残したことがないように
人生を生きるためには
モノを残さない‼
家の中に
モノが たくさんあると
やり残してるもの
ばっかりになるからね!

悲しみ
苦しみ
憎しみ
嫌み
要らんモノ
全て
捨てたときに
『やり残したことなく
 よく頑張り生きました!
 お疲れ様でした!』
気持ちよく
人生を終われます!

わが得ばかりを
考えて
生きていても
決して
いいことありません。
どうぞ
複数の人間が
喜ぶほうを
選択して生きて下さい。