JACK DANIEL’Sを片手に
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新・雑感雑記(6) 専業主婦を復権せよ?欧米の「トラッドワイフ旋風」について考える


※ 24.5.14  加筆修正


こんにちは。






GWも明けて(涙)、気がつけば5月も中旬です。例年なら、もう少し気温が高い日々が続いているような気がしますが、そうこう言っていると梅雨になるんですよね。






あ〜、1年の早いこと早いこと。






このブログは元々、時事ネタを主に扱っておりました。なので10年以上までは、さまざまなニュースについて思うことを綴っていました。






それが一旦お休みして2年ほど前に復活してからは、電車ネタや蒙古タンメン・中本との死闘ばかりを記してきましたが、久々に時事ネタを書いてみようと思います。






キーワードは「トラッドワイフ」。






このお話は、日本ではほとんど報じられていないと思われます。






最近、興味深い記事を見つけました ↓↓↓




この記事が書かれたのは、23年6月と24年4月。いずれも1年以内ということになります。






詳細は記事を読んで頂きたいのですが、簡単に説明すると、「欧米で一部の女性の間で『昔ながらの専業主婦』を見直す(= 賛美する)動きがある」というものです。






トラッドワイフというのは、Traditional Wifeの略称で「伝統的な主婦」という意味、つまりは専業主婦ということです。






しかも、専業主婦を支持しているのが、60・70代以上ではなく20〜30代の女性で、「自ら選択した」というのも興味深い点です。






このブログでは内容の賛否については議論はしませんが、この「トラッドワイフ旋風」は本物となるのか??






筆者は「この影響は一時的もしくは限定的なものに留まる」と考えております。






仕事と家庭の両立が当たり前のように思えるアメリカでは、実は90年代にも少数ながら専業主婦は存在していました。



上の記事内にもあるように、90年代後半から今に至るまで年による変動は見られるものの、おおむね20〜25%の夫婦世帯が「専業主婦」です。

つまり、ここ30年間はその割合は安定しています。






一度根付いた「文化」なので、そう簡単には覆らないだろう、というのが1つ目の理由です。






そして、もう1つの理由。

それは「10年前にも、同じようなことが話題に挙がっていた」ということです。






今でこそ「トラッドワイフ」と呼ばれていますが、10年前は「ハウスワイフ 2.0」と呼ばれていました。



正確にはトラッドワイフとは異なり、専業主婦(= 家庭優先)でありながらSNSなどを通じて小規模なビジネスを営む、というものでした。






日本でもそれに関する書籍が出ていたそうですが、それでも欧米で専業主婦世帯が増加しなかったことは、2つ前の記事を読んでみると明らかです。






トラッドワイフを唱えている女性は「すべての女性に勧めるつもりはない」としながら、25歳という若さで「自らの意志で専業主婦を選んだ」というところが非常に興味深いと感じました。






ただ実際のところ、トラッドワイフ(専業主婦)の素晴らしさを主張しながらも、Youtubeで動画投稿してお金を稼いでいるのだとしたら・・・?






それは「トラッドワイフ」ではなく、もはや「ハウスワイフ2.0」と言った方が良いのかも知れませんね。むしろ、「10年遅れでブームがやってきた」とでも申しましょうか??






これらの動きにとやかく言う連中も少なからずいるようですが、そもそも結婚後の女性の生き方など夫婦間で話し合って決めれば良いことです。






近年では「専業主婦」の地位がおとしめられている風潮もありますが、女性が自分達の信じる・生きる道を自信を持って進めることこそが、本当の「女性活躍」なのではないか、と思いました。

新・雑感雑記(5) 「忘れられた昭和の道路遺産」を見てきたお話

こんにちは。

 1ヶ月半ぶりほどの投稿です。





ここしばらくは中本戦記シリーズを投稿しておりましたが、今回は久々の新・雑感雑記シリーズ。






さて、突然ですが

まずは、下の写真を見て頂きましょう。


ここは奈良県天理市の某所。

田舎ならどこにでも見られる、割と普通の光景。ちなみにここは丁字路です。





丁字路で角度を変えて撮った写真がこちら。


のどかな山あいの生活道路ですが、

実はこの2枚の写真、21世紀も25年近く経つこの令和の時代にはあるまじき、「あるモノ」が映っているのです。





お分かりいただけただろうか・・・?





赤いポストから少し離れた

1本の電柱に注目頂きたい。





拡大すると・・・



国道のおにぎり標識が!!





さらに、それだけではない。

問題はそのナンバー。





なんと、幹線国道につけられる1ケタ・2ケタである「25」を名乗っているのです。





「何かの間違いでは?」

「合成写真だろ??」





と思った方も多いかも知れませんが、正真正銘、本物の国道25号のおにぎり標識。





つまりこの道、ある時期までは、本当に国道25号だったのです。





しかもその時期は、21世紀に入った平成の世。

なんと2006年まで。





反対方向を見てみましょう。



道は丁字路の先で左へカーブしていますが

その先も、同じような幅が続いています。





大阪の5車線一方通行である「御堂筋」(あれも同じ国道25号)のような立派な姿からは、想像もできません。





戦後、日本の道路事情は非常に劣悪で

あの天下の国道1号ですら未舗装区間を抱え

悪天候時には、物流の大型トラックが

横転する事故が絶えなかったといいます。





Wikipediaによると、写真の区間の国道25号としての指定は1964年(昭和39年)5月18日。

離合困難なこの程度の整備状況であっても、ナンバーが1ケタ・2ケタの国道を名乗っていたことになります。





このおにぎり標識(国道標識)の設置がいつからなのかは定かではありません。





が、今のような反射板方式になってないところと汚れ具合から察するに、設置は80年代後半(昭和60年代)から90年代前半(平成初期)ぐらいでしょうか?






しかし、この区間は先述の通り、2006年に国道指定を外れて天理市道になりました。





本来なら、おにぎり標識はすべて撤去されるはずですが、どういう訳か、自治体の担当者から忘れられたのか、ここだけはなぜか残ったまま。





道路も含めて貴重な「昭和の道路遺産」として天理市によって保存?されています。





これからも、このおにぎり標識には世の行く末を、いつまでものんびりと見守っていてほしいものです。

中本戦記・リターンズ(最終回) 激辛との死闘の末に辿り着いた境地

こんにちは。





いつも当ブログをご覧下さいまして

ありがとうございます🙇‍♂️🙇🙇‍♀️




迷シリーズ・中本戦記 リターンズも番外編を含めると今回で21回目、一昨年からの「リターンズではない分」まで含めると、通算で41回目となりましたが、今回にて筆を置こうと思います。





これまで食べてきたメニューを思い返せば・・・





最初は、辛さ5の蒙古タンメンにて激辛でコテンパンに。


蒙古タンメン ↓↓↓  (辛さ5)



「打倒・蒙古タンメン!」を合言葉に、一昨年2月頃より辛さ3の味噌タンメンから修行を開始。


味噌タンメン ↓↓↓  (辛さ3)


筆者の激辛との戦いの火蓋が、切って落とされました。





そこから、さまざまな辛さのメニューと戦い、北極ラーメン(辛さ9)を制圧(= 完食)し、一旦は冷やし味噌やさい(辛さ10)まで制覇しました。



北極ラーメン・野菜大盛り ↓↓↓

(辛さ9)



この戦いにて、激辛系の「野菜大盛り」は健康に良いという「味方」のはずが、激辛スープをたっぷりまとわりつかせてまさかの「敵」になることも学びました。



冷やし味噌野菜ラーメン・野菜大盛り↓↓↓

(辛さ10)


その後さらに修行?を積み、冷やし味噌との「再戦」を交えました。



冷やし味噌ラーメン・野菜大盛り ↓↓↓

(辛さ10)


冷やし味噌ラーメン(辛さ10)を食べる時は、辛さ対策として野菜大盛り(= モヤシが大盛りになる)が有効であるという発見がありました。
(※ 北極ではこれは無効)




また北極と冷やし味噌は、同じ激辛でもスープの味が少し異なっていることも発見。↓↓↓


その後、リターンズとしてまた色々食べて来ましたが、少し戦線?を拡大し一部の限定メニューも実食。





特に、サッポロ味噌ラーメンの「裏3段活用(サッポロ味噌・蒙古ラーメン・ピリッポロラーメン」も制覇。

これはなかなか難しかった・・・😅



サッポロ味噌ラーメン ↓↓↓ (辛さ4)



蒙古ラーメン ↓↓↓  (辛さ5)

※ サッポロ味噌ラーメンと辛子麻婆のセットで代用しました。



ピリッポロラーメン ↓↓↓

(辛さ4〜5、場合によっては6ぐらい?)





そして、長きに渡る「激辛」との激闘・死闘の末に辿り着いた1つの境地(メニュー )





それは・・・





味噌タンメン(辛さ3) ↓↓↓


(奮発して、チャーシュー1枚トッピング 笑)




激辛打倒の戦い、その旅の出発点が

辛さ3の味噌タンメンでしたが

中本の激辛との数々の激闘・死闘を繰り広げ

究極的に1番美味いと思ったのがこれでした。





味噌タンメンは激辛を全く気にする必要がないため、安心して食べることができます。

(辛さ3なので、多少のピリ辛はありますが)





改めて味わってみると、味噌タンメンのスープには、味噌の味が味わえるとともに煮込み野菜による甘みをしっかり感じますね。



(今回も秦野店で美味しく頂きました)





あと、これまでの迷シリーズ記事でも、また他のブログでもあまり深くは触れられていないのですが、中本のメニューは麺が、これまで食べてきたさまざまなラーメンの中でズバ抜けて美味いと感じました(※ あくまで個人の感想です)



(中本の中太麺、ピントが合わずちょっとピンボケです)





特に激辛系のメニューでは、その麺が持つ特有の「しっかりとした甘み」(小麦由来?)を、激辛とは対照的に味わうことができます。こんな麺は初めてでした。





味噌タンメン(辛さ3)は、中本の原点とも言えるメニュー。





死闘の末に到達した境地、中本の原点メニューを完食し、迷シリーズ・中本戦記 激辛との戦いの旅を終えようと思います↓↓↓




ここまでの長編シリーズ、駄文・拙文にお付き合い下さり、誠にありがとうございました。





どうも、ごちそうさまでした‼️🙇‍♂️🙇🙇‍♀️

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