今まで何度、「もうだめだ」、「もう終わりだ」って思ったことだろう。
何万回思ったことだろう。
そのたびに深く傷つき、涙し、自信を無くし。
底辺まで落ちる落ちる。
落ちるところまで落ちると、浮上してくるんですよね。
これ、不思議ですよ。
何回もこれを体験してきた。
これは執着というのか??
それも何度何度も考えた。
私は見切りを付けたら、次にうつる。
だから、自分の性質からみたら
執着とは別な気がする。
そうなることが決まってるから、わかっているから、としかいいようがない。
根拠もなにもないし、自分の未来図が見えてるだけ。
それだけは見えるのだ。
生まれる前にえがいてきた未来図。
そこだけはわかるのだ。
でもそこにたどりつくためには、ロールプレイングゲームのように、自分で設定したことを、次々とクリアしていく必要があるようだ。
どんな設定したかまではわからない。
いわゆる、魂の学びってやつですね。
だから、どんどん研ぎ澄まされるし、洗練されていくし、才能もアップしていくし、スキルも、人間性も、すべてがアップしていく。
ポケモンみたい。
一回りも二回りも大きくなっていく。
投げ出したくなることもありますよ。
かなりつらいこともあるから。
終わりにしたいことも。
もう、私、十分やってきたでしょ?って。
でも、自分が望んだことだし、できるってわかってることだから、やるんでしょうね。
トライ&エラーを繰り返し。
最初からわからないから、何度かやって、気づくこともたくさん。
恥ずかしいことも、沢山経験してる。
でもいいのだ。
私はそれで。
やらない後悔がないからね。
私は全部やるから。
ああ、あのとき、こうしておけばよかった、ということが、私はない。
私はそれが恥ずかしいことだろうが、傷つくかもしれないことであろうが、失敗するかもしれないことであろうが、全部やるから。
土曜日はどん底まで落ちて落ちて傷ついて傷ついてってところまでいった。
でも、あることに気づいた。
そうか。
うまくいかないなら、他の方法。
やってないことをやる。
その選択することを心の中で決めた。
これは今までできなかった選択。
怖かった、その選択をすることも。
でも、その選択が必要だって思った。
今の私たちにはそれが必要。
だけど、それをやる。
その決心をしたら、心が軽くなってるから、それが正しい選択であり、つながっている道なんだとおもう。