待つってことをやってみようと思った。
私の中で今まで「待つ」なんてこと、ない概念。
待っていることは好きじゃない。
行列になっていたら、やーめたーとなって、ほかの店へいく。
待ち合わせも、10分以上待つなら、メッセージ残して、先言ってるねと、先にいく。
レジ待ちも順番待ちも数分だったらなんとか待てる。
渋滞もいやなので、抜け道さがしたり、時間かかっても、動ける方にいく。
は?!待つなんて冗談じゃないわよ。
待ってる時間があるのなら、ほかにいくわ。
待つなんて、受け身な状態、ありえない!!
という私。
そんな私が、待ってみるか、なんてことを思っている。
しかも、いつともわからないことを待つことにしたのだ。
これも、ようやく、いろんなことをわかろうという気分になってきたから。
それまでの私はきっとエゴの塊。
このエゴも十分味わったからこその今。
エゴがあった私のこと、悪いとは思ってない。
あるものはないことにするのはやめようと思っていたから、それも味わうことにした。
エゴにまみれて苦しみまくった。
相手を責める、非難する、怨む、憎む、相手のせいにする、自分はなにも悪くない、こんなにやったのに!
裏切ったわね!
そんなんでうまくいくわけがないわ!
ってことを一通り繰り返し繰り返し、思って、感じて、そんな自分に嫌気がさし、
答えのないループにはまり込み、もがき、苦しみ、耐え難い状況や見たくもない光景を目の当たりにして、心も何度も折れた。
もう限界!と何度も何度も思った。
抜け出したくても抜け出せないような無間地獄のような苦しみ。
あるとき、ふっと軽くなった。
今までだって感じてはいたけど、確信が持てないこともあった。
共振している。
つながっている。
共鳴している。
連動している。
今までとは違う形での感覚を得た。
真反対の要素を持つ相手のことは、謎だらけ。
わからないから、より苦しんだ。
かんがえてもわからない謎の相手の行動。
自分にはない要素だから、教えてもらわないとわからない。
想像したところでわかるはずもない。
あまりに私が苦しんでいたので、カミサマがヒントをくれたのだろう。
図解までして教えてくれた。
想像してもわからないはずだわ。
私にはない考え、思い、概念・・・。
ふーん。
相手がわかると、ちょっとゆるそうって気分にもなる。
そうなのか。
相手も同じだけ、もしかしたら、それ以上に苦しんでるとわかり、握りしめていた怒りのようなやるせないような気持ちが、ふっとゆるまる感覚。
許してやろうかという恣意的なかんじでなく、自然にゆるまるかんじ。
相手も愛がゆえの行動と選択。
えっ?!なんで、そんなことわからんのーー???
とも思ったりするが、まあ、そこは相手の課題であるだろうし。
私のテーマは相手のどんなことも受け入れるってことなんだろうな。
どんなこともだから、どんなこともなんだろうな。
言葉にするとしたら、究極の愛や、無条件の愛って、いったりするものかもしれないなあ。
なんて思って、穏やかに過ごせる時間も増えてきました。