話していくことで、気づくことがたくさんある。
話す=離す
近すぎてわからないものを、話すことで、自分の中から取り出して、目の前に置いてみて、眺める。
そんな感じ。
昨日もそんなことが。
遊びに来てくれたお友達とお話。
普段の私。お客様のお話を聞くのがお仕事なので、自分のお話は実例になること以外必要最低限しか話さないが、昨日の私はしゃべるしゃべる。
語る語る、私。
私、しゃべりたいんだ~、聞いてほしいんだ~、って思いました。
誰かにわかってほしいからしゃべるんでなく、まるで心の整理をするかのように、自分が自分へおしゃべりするかのように。
あ、わかってほしいのは、自分が自分になのかも。
これ話そう、あれ話そうとかんがえることはなく。ことばが湧いてくる感じでしゃべってました。
こうしてブログ書きながらまた気付く。
元夫は私が見えない世界に興味をもつことを、ひどく嫌がった。
特にこどもをそうした世界に触れさせることも。
子どもにそういう世界をみさせるなら、家を出てってほしいっていわれたこともあった。
だから私が今しているお仕事、シャーマニックで、占い師的なお仕事。カードで読み解いたり、お伝えしたりなど、快く思っていなかった。
しかし、表立って反対はされなかった。
理解してくれようとしてることもあった。
わたしにとって見える見えないの世界、区別もないし、対極のものでもないし、特別のものでもない。
家を出て、そして離婚して。
そういう世界に興味をもつこと、ほんとに嫌だったんだなって、その後の場面場面でわかった。
その一方で、ほんとはわかってる、知ってるのね、という場面もあった。
私は12月、元夫から本を借りた。
映画化された小説があって、映画でなく小説でまず読みたいと思った。
Amazonでも買えるけど、借りようと思った。
本好きの人だし、直木賞の小説だから、持ってるだろうと思って聴いてみたら、案の定持っていて、快くかしてくれた。
分厚めの小説だった。
なんと私はむさぼるように、1日ちょっとで読んでしまった。
おもしろいからというだけでなく、私に必要があったから入ってきたかんじだ。
生まれ変わりのことが書いてある小説。
生まれ変わって好きな人に会う。
そんな内容だった。
返すとき「面白かった!」といったら、
「だろ?おもしろいだろ」と元夫が言った。
生まれ変わり、受けいれてるんだ!
おもしろいって思えるんだ?!
その事実と、見えない世界を拒絶する元夫。
私は結び付いた。
勘が鋭く、とても冴えてる人だ。
ある意味、いろんな物事が見えてるとおもう。
知らないわけないし、本の中はきっとそんな世界にあふれている。
「そんなの知ってるに決まってる」。
私がその世界の扉を開けたら、私が彼の元を去ってしまうことを彼はきっと知っていた。
もしかして、結婚したときから感じていたかもしれない。
いつか来る未来。
元夫と出会っていなかったら、私は今の仕事をきっとしていない。
生まれた常滑に、また舞い戻り、何十年ぶりに住むこともなかった。
今、出会えた人にも出会ってない。
ここまで連れてきてくれた。
離婚するまでは悲しみの涙がおぼれそうなほど、出た。
今出てくるのは、喜びの涙とでもいうのかな?
ありがとうや感謝の涙。