リクエストがあったので(してない?!(笑))、私のこと年表にしてみようかなーと。

 

やりたいこと、すぐやりたいたちなので、自然に経歴が増える。

 

飽き性なので、あるていど満足したら次行くので、より増えますね。

 

前置きはこれくらいで、早速いきましょー。

 

常滑の大野町で生まれる。

 

3歳ぐらいに常滑市小倉に引っ越す。

 

5歳でピアノ始める。

 

地元の小学校入学。

 

父の転勤で1年生の1学期を終えて、岐阜県穂積町(今の瑞穂市)に引っ越す。

 

 

 

(空に~憧れて~〽 子どもの頃はよく空眺めてましたね。あの雲のりたいなあとか)

 

 

 

10代

 

小学校時代

 

お勉強がよくできた。このころは絵も得意だった。

 

3年生ぐらいから少年団でバレーボールに入る。ポジションはセッター。

試合に出たくないので、よく本屋で立ち読みして練習さぼってました。

 

 

中学時代 地元の中学に入る。

 

バトミントン部 2年生ぐらいでやめたかな~。

 

高校時代 地元の高校に入る。

 

第一次モテキ到来。モテても彼氏がいるというわけでなはい(笑)

 

部活は茶道部。半年ぐらいでやめた。

 

3年生の受験期に舞台に立ちたくなり、音楽部に入る。合唱でオフコースやサイモン&ガーファンクルの歌を歌う。

 

大学生時代

 

名古屋の某女子大入学。英語が好きだったので、英文を専攻。

 

大学が合わずに何度も中退考えるが、思いとどまる。

 

1年生にとき、合唱団入るが集団行動苦手で半年でやめる。嫌だとすぐやめるのは昔から。

 

その後新聞部に入る。ここで文章書いたり、インタビューのおもしろさを知る。最初のインタビューが作家の故中山あい子さんでした。

 

20歳のとき、初めて海外旅行する。

 

イギリス、フランス、ギリシャ、イタリア、バチカン、スイス、ドイツ、オーストリア・・・。2週間、ヨーロッパの国をめぐる。

 

ギリシャとベニスがよかった~。ベニスの現地ガイドさんがモデルのようにめちゃくちゃイケメンでした。

 

21歳の時

 

半田市に家族で引っ越す。

 

22歳

 

4年生の時、就活で「書く仕事」したいと就職先を探す。

 

編集プロダクション、印刷会社など受けて、就職課で紹介してもらった新聞社を受ける。

 

なんと新聞社に受かってしまい、新聞社に入ることに。

 

卒業旅行に海外旅行行こうとするが(南極だったかな?たしか)、湾岸戦争のため断念。

四国周遊の旅に出る。ユースホステルを回る。

 

社会人時代

 

新聞社入社。経済記者となる。たくさんの経営者と会う。6年間の記者生活で、のべ1000人ぐらいの人と会う。

 

その間も、海外旅行好きで毎年のようにどこかしらいく。

 

イタリア、韓国、パラオ、カナダのプリンスエドワード島、モルディブ

 

電車旅したり、レンタカーで回ったり。自由気ままに旅してました。

 

第2次モテキ到来!直感派なので、直感でいかないと、失敗する💦直感でも失敗することもありますが。

 

27歳で、はじめてパソコンを買う。このときはマック。ニフティとか、まだパソコン通信の時代。インターネットは素人がやるには難しいっていわれてました。

 

記者の仕事は名古屋と岡崎でしてました。

 

29歳で結婚して仕事辞める。

 

(常滑の神明社。ここで結婚したけど、結婚することもある意味予想外。結婚できないかもなーなんて思ってました)

 

30代

 

長野ー名古屋守山ー瑞穂区ー常滑ー上海(上海でも一度お引越し)-再び常滑

 

中国上海で中国の勉強とゴスペル始める。現地の人にまじって買い物は自転車でいってました。

 

上海時代は、子どもと3人で北九州に海外旅行wしたことも~。海外から日本を旅するのもおもしろかった。

 

結婚しても夫の仕事の都合で引っ越しが多かったです。

 

30歳で長男、32歳で次男出産

 

34歳ぐらいからマクロビオティックを始め、ビーガン生活10年ぐらいする。化学物質過敏症を改善したかったのと、次男がぜんそくだっため。

このころに自然療法や代替療法に出会う。

 

40代

 

40歳で三男出産。

 

マクロの影響で、無農薬の農業の現場がみたくなり、オーガニックの農業にかかわるようになる。

農作業のボラインティアやアルバイトしたり、農地見学などイベント企画や、無農薬野菜を扱う会社で機関紙の発行もやってました。

 

自分でも畑をやってみるが、飽き性なので1年でやめる。

 

48歳ぐらいのとき

音で急に悩む。音が聴こえすぎて集音機にみたいに集まりすぎ(特に機械音など自然界にない音)、1年ほど精神的に参る日々。

 

このときから、今の才能が突然開花する。

 

あらゆる療法を試したり、相談にいくが有効な解決策がみつからず。

 

音楽療法にいきつく。

 

49歳ぐらい

和太鼓に出会う。お世話になってる鍼灸師さんにすすめられた。民族楽器、中でも和太鼓がいいと。早く治したい一心で和太鼓始める。

 

気付いたら音の悩みがなくなっていた!!おそらく2,3か月で症状がなくなったと思う。

 

51歳でアンナの館始める。

 

そして今に至る。

今に近いことはだいぶはしょりました。

 

(常滑といえど、北と南では街の持つ雰囲気もずいぶん違う。坂井海岸にて)

 

 

ジャンル別に書いても面白いかもって思いました。音楽やテレビ、映画などに特化してもおもしろいなあと。

 

こうして振り返って思うのは、人生想定しないことが起こるもんだなあと。

 

新聞記者もなりたいと思ったことは一度もなく、頭をかすめたことすらなく、仕事しながら記者してる自分が不思議でした。

 

 

常滑に再び帰ってくることも全く予想外。全国数ある都市の中で、再び常滑に舞い戻るって、予想したこともなかったですね。

 

和太鼓もやろうって思ったこと、自分ではなかった。弦楽器がひきたかったから、ギターや三線は習ったけど。そっちじゃなかったのか~(笑)まさかの打楽器。

 

ドラマーには憧れたから、ドラマーといえばドラマーかな、和太鼓。

 

自分年表、また違う形で書いてみるかも。