「現実は自分が作っている」とか、「思っていることそがのまま現実化する」という。

 

私、そんなこと望んでないんだけど。という現実がおこることがある。

 

今目の前で繰り広げられている、現実っていったいどういうことなの?!

 

(そうです、あなたがつくってるんですよー!計画書通りやってるだけなんですけど by神様)

 

私は私の人生を生きる!つまり、離婚する!って決めてから、この2年間、すごい勢いで現実が動き始めた。

 

宇宙は最短距離で現実化に動くというから、決心してから、スキーの超ビギナーが急斜面を直滑降で降りるような怒涛の毎日が続いた💦

 

私は夫に結婚当初から、怒られることがたびたびあった。

 

離婚を自分の中で決めたのと同時に、その頻度がどんどん増えていった。

怒られるときは、私の行動や態度がルーズで、だらしないとき。←夫から見て。

 

今なら、「これは私にとって当たり前の行動なの。ルーズでもなんでもない」と思えるが、当時(つい最近まで)は、幼い子どもが親に怒られているときのように、うなだれて、黙って怒られていた。

 

相手の怒りが相当なものだから、言い返すことはしたことない。そんなことするの怖いから。いつも私は嵐が過ぎ去るのを待つ選択をした。

 

離婚の話、いざとなると、思うように話が進まず、トライ&エラーを繰り返し、ときに返り討ちにあったりと、悶々とした日々を送っていた。

 

その間、意地悪なことや嫌なこともたくさん言われた。

 

なんで私、こんなに怒られなきゃいけないの?!

 

あるとき、私はハッと気づいた!!!気づいたときの場所も時間も、シチュエーションもあまりの衝撃に覚えているぐらいだ(笑)

 

「私は確かにそれを望んでいた!」のだ!!!

 

時間に遅れる(夫は時間厳守)、実家に長居する、長電話、すぐに頼まれたことをやらない、ダラダラ、ゴロゴロする、やることを忘れる(ごはんを炊き忘れるとか)、家事を後回しにする・・・・。

我が家ではすべてNGだった。

 

そのたびに怒られたり、怒鳴られたりした。いつしか私は「私はルーズなんだ」と思うようになった。

 

そして「私はルーズだから、怒ってくれる人が必要。夫みたいに怒ってくれる人はほかにいないから、必要な存在なのだ」と思うようになった。

 

今思うとぞっとすることを考えていたものだ。恐ろしい・・・。

 

怒ってくれる人を私はなんと自分で望んでいたのだ!!!

 

まるで何かの呪縛にかかっているかのよう。完全にコントロールされてしまっている。自分がなくなっている。

 

自分が望んでいたと知った時は、かなりの衝撃だったが、現実は自分で作っていることをまざまざと見せつけられた瞬間だった。

 

即刻私は願いを取り消し、「私はもう怒る人は必要ありません。そのままの私でいいと、言ってくれる人とだけといっしょにいます」と、宇宙に変更願いを届けたのであった。

 

そんな一連のことを、最近思い出していた。あー、気づいてよかった、ほんとよかった!人生放棄するとこだったわ。

 

 

(ゴロゴロしたっていいのよー。)

 

 

そしてついでに、このさい、もっと過去をさかのぼってみることにした。

 

私は20代のころ、父親っぽい人を望んでいた。自分の父親に似てるというのではなく、私が連想する父親的な要素「引っ張っていってくれる、頼れる、威厳がある、孤高、自分を曲げない」がある人に強くひかれた。

 

でも父親的な要素がある人とは、上下関係になってしまう。そこでも怒られたり、たしなめられたりね(笑)箸の持ち方や、仕事に対する姿勢とか・・・。怒られること、望んでいたのか私?(苦笑)

 

もう、だまって後ろからついていくのは卒業。かなりここまで来るの時間かかってしまった💦

 

これからはいつも横にいてくれ、となりで一緒に歩いてくれる人と。

 

岡村靖幸が「住所」という歌で歌っていた歌詞が、ふと思い浮かんだ。

 

「寂しかった日常も 悲しかった表情も 無理してた現実も 君次第でしょ?」

 

確かにそうだわ、岡村ちゃん!今ならわかる。

 

そう!私次第で、今も、これからもクリエイトできる!

 

楽しい日常も、うれしい表情も、自然体の現実も、私次第!

 

 

 

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