破壊と創造月間邁進中のアンナの館店主のアンナです💗

やっと実家の両親に離婚のことを正式に話してきました。

 

私たちが離婚の合意に至ったのは7月末。実家の両親には折を見て話すつもりでしたが、どこからか情報が漏洩!

 

合意直後に、実家の父から「離婚するって聞いたけど、一体どういうことなの?!」と、突然電話がかかってきたという経緯がありました。

(記事に全然関係ないけど、うちのキキ)

 

電話の向こうの動揺を隠しきれない父。私は離婚に至る経緯を話しましたが、「そんなのどこの家庭でもあることだ!」と聞く耳を持ちません。「どこにでもあることじゃないとおもうけどね」と思いましたが、今は何を言ってもだめだろうと、間をおいてしばらくしてから、話すことにしました。

 

その間、実家にもたまに行きましたが、お互いその話には触れずじまい。2か月の時がたって、夫の転勤が決まり、もう言うしかない状況になり私は重い腰を上げました。

 

「今日は話そうと思う!」と近くにいた大学生の長男に宣言し、「やっぱ話すの今日はやーめた」とならないように見張り役として、実家についてきてもらいました。

 

父に向ってちゃんとした話をするのは、20代の時仕事を辞めようと思った時以来かも。「離婚することにした」とあらためて話しました。私は引き留められたり、説得されることを予想していましたが、「わかった」と父は受け入れてくれました。

すっごい緊張して臨んだので拍子抜けするぐらいでしたが、よかった!いつかわかってくれるといいな、ぐらいに思っていたので。

 

きっと父と母は何度も夫婦で話し合ったのだろうな。そして娘の離婚を受け入れることにしたのだろう。「生きてる間は心配かけないで!」と母にくぎを刺されたことがあるが、娘が私なんだからそれはおそらく無理であろう(笑)

私は親孝行を考えたとき、ようやくそれが何かがわかったところだった。おいしいもの食べに連れて行ったり、旅行に連れて行く、実家に遊びに行く、孫の顔を見せる、一緒に住む。どれも違う!と思った。

素の自分で精いっぱい生きて、パートナーや周りの人に大事にされつつ大事にし、いい関係を築いて幸せでいることが親孝行なんじゃないか?と思い至った。

 

だから私は親が生きているうちに、離婚しようと思いました。苦しいことも多かったこの結婚生活(もちろん楽しいこともありました)。そこから飛び出し、新しい人生歩み始めた私も見てほしかったから、間に合った!まだまだ親は元気ですけどね。しかし、父80代前半、母70代後半なので、年老いていく二人を見て、今やらなきゃなと思ったのです。

 

これからは、その先の姿まで見てもらいたいですね!

 

結婚生活から実質解放された私は、張り詰めていた緊張の糸が切れて、今グダグダです。PTSD的症状も出てきます。いやなことが全く受け入れられなくなってきました。正直に反応する体になりました。

 

これからは自分に正直に生きるしかなくなってきました。「自分に正直」も、最近意味がやっとわかった言葉。

 

今までよくやってきたなと、今の自分の疲れ具合をみながら、そう思うのでした。