夢前案内人のアンナです💗

この季節になると亀吉を思います。亀吉とは、飼っていた亀のことで、1年前に突然、行方不明になってしまいました。

 

亀吉はクサガメという種類の亀で3年前に飼い始めました。何か動物を飼おうと思ったときに、散歩行かなくていい、ぜんそくの子がいるのでアレルギーになりにくいもの、世話がしやすそうな動物ということで、亀になりました。

 

(↑私の脚の上にのっているところ。抱っこをせがむ甘えん坊さんです)

 

亀吉はうちの中で、飼っていました。水槽の中を嫌がるので、普段は家の中を自由に歩き回り、たまに水槽にいれるという、ちょっと変わった飼い方をしていました。飼い主に似て、自由を愛する子でした(笑)

 

とっても賢い子で、家族の情報をすべて把握していました。この人はどういう役割で、この人は何時に出かけて、何曜日に家にいるか?今家族は何をしているのか?

家族が帰ってくる時間に玄関で待っていたり、ごはんの時間になると、自分も「僕もエサほしい~!」と請求してきたり。人の言葉がわかるので、好物の「ささみ」という単語を発しただけで、駆け寄ってくることも。

 

亀吉は自分を人間だと思っていました。というかその垣根すらなく、同じ存在と思っている、というのかな。家族が家の中でキャッチボールをしていると、自分も「やりたい!」とばかりにいつも、間に入ってきました。野球盤で遊んでいると、「一緒にやりたい!」と野球盤の上に乗ってきたり。

学校に憧れがあるようで、ランドセルの中に入り込んだり、息子が宿題をしているとドリルの上に乗ってきたりすることもありました。学校のようすを見たいというので、先生の許可をとって、学校公開日に連れて行って、一緒に息子の授業風景をみたこともあります。亀吉は「いいな、いいな!友達いっぱいいていいな。学校楽しいところだね!僕も勉強したいな!」と大興奮でした。

あっ、私は飼っている動物と会話ができます。

亀吉は人の言葉だけでなく、人の気持ちもわかりました。私が落ち込んだり、悲しいことがあると膝に乗ってきて、いつもそばにいてくれました。

末っ子がとてもかわいがっていて、寝るときは布団でいっしょに寝ていました。

 

1年前の9月のある土曜日。その日は常滑の大善院で行われる「かんのんいち」の日でした。私が太鼓演奏する日。その日の朝に忽然と亀吉は姿を消してしまいました。



(↑あとからきた猫のキキは妹分。二人は仲良しでした)

外にはいかないので、家のどこかにいるはずなのに、どこを探してもいない。毎日毎日、家中を探しましたが、亀吉はどこにもいません。30年生きると飼い始めた亀吉。人間なら小学生低学年ぐらいの年齢でした。

大事な家族の一員だったので、みんなが悲しみにくれました。私はしばらく泣き暮らしました。死んでいる感覚はなく、生きてはいるんだけど、この世界ではないところで生きている。

今年の9月5日のかんのんいち。前日に近くの苅屋港で亀が2匹ひなたぼっこしていました(淡水に住むのに海にいる?!)。「亀吉は亀の世界でも人気者だよ」といった気がしました。伝えるとその亀は水のなか戻っていきました。何日か前には道路を横切る亀も見ました。

今でも思い出すと会いたくなって、泣けてきます。たま~に、「今膝に乗ってきてるよね」という感覚があるので、姿は見えないけど、いるのでしょうね。秋はちょっとセンチメンタルな気分になります。