日本は、小さな島国だが、我が父祖らは勤勉さとタテ社会による一致団結の組織力の強さで、強国の一角に列した。日本人もサイズは身長こそは小さいが、芯の強さは一本持っている。

 

中国は、戦乱の中、生き抜いた大陸国家で、国境の小競り合いでの変化はしょっちゅうであり、そもそも国境が画定するという概念は力の均衡下にある一時的妥協に過ぎない。野心は、大陸国家ならばどこの国もあり、あわよくば交渉や武力で拡張しようという魂胆は見え隠れする。

 

改革開放による、近年の中国の経済力の進展を背景に雌伏していた眠れる獅子、いや龍の本来の獰猛さが戻ってきた。人口、面積、経済力、国勢、において優れる中国は、欧米と日本で築いてきた古い規格のアンシャンレジームで抑え込まれる国ではない。

 

米国ですら、たじたじの状況になってきつつある。この現状認識の下、我が愛するひのもと日本を見るならば、欧米と日本で作ってきたシーパワーはあるが面積、人口、資源、経済力、武力、すべてにおいて、中国に凌駕されてしまった。明治維新により、富国強兵で国是とされた「経済力と武力、そして、伝統的組織力」、これを現代的個人主義や少子高齢化で失えば、日本の利点は薄くなる。中国が日本を怖がるのではなく、日本は米国という虎の威を借る狐に過ぎない事実に、多くの国民は気付いていない。だから、尖閣列島も失いつつあるのだ。

 

考えてみてほしい。臺灣の澎湖諸島、日本の尖閣列島は、過去の力の遺産だ。中国の内乱が収まれば、その経済力により、国境のない大陸国家の歴史的本能が目覚めるのは当然ではないか。平和ボケしてたら、なめられるのは当然じゃないか。米国という国の武力の下、ぬくぬくと育ったぼんくら御曹司日本は、中国人から小日本と揶揄されるのは、力の均衡の観点で至極当然に思われる。

 

日本は、大国インドにも難癖を付けられ始めている。新幹線計画では、日本にも非があるようだ。どんなに友好を叫ぼうが、どの国も、日本のサイフと技術にしか関心がない。父祖より受け継ぎしサイフを。道楽息子が使い込んでしまう前に、ふと一度現状を見据えた国家戦略を考えてほしい。

 

今一度言おう。日本は、勘違いしてる。米国の後ろ盾を失った時の日本は、裸の王様のように滑稽で惨めな姿であることを。