父が亡くなりました。

昨年5月頃から寝たきりになり、

享年74歳。



昼頃かめちゃんとつるちゃんの2人を
抱っこ紐とベビーカーに乗せて

公園へ行っている時だったようです。



昼ごはん用に惣菜パンを買って、

さあ帰ろうとスマホの時計に目をやったら

父の訃報を知らせる母からのメール通知が

入っていました。



心が少しザワッとして、

「そうか。」と思いました。



夫が早めに仕事を切り上げて

夕方帰ってきてくれたので、

子供達を預けて1人実家へ行ってきました。



家へ入ると母が奥の台所で、

軽く食事をしながらテレビを見ていました。



お父さんに会ったの?と聞かれたので、

いや、まだと答えて1人で父の寝室へ行き、

顔に掛けてある白い布をそっと取りました。



そこで思わずブワッと泣いてしまいました。



自分でもまさかそんなにオイオイと

泣くと思ってなかったので驚きましたゲッソリ



というのも、父の顔が、特に口元が

苦痛に歪んでいたからです…

物凄く歯を食いしばっているというか…



私もいい歳なので、もう色んな人を

見送ってきましたが、たぶん私が見た亡骸で

一番苦痛に満ちた顔をしていると思います。



「そうか。お父さん苦しかったんだな…」



そう思うと涙が止まりませんでした。



もう葬儀屋さんも来たというのに、

何でもっと綺麗にしてくれなかったのか。

今まで見送った人たちはみんなもっと

穏やかそうな顔をしてたのに…



私はオイオイ泣きながら父に向かって、



「お父さん今までありがとうございました。よく頑張ったね。お疲れ様でした。私はお父さんにすごくすごく助けられたよ。本当にありがとう。」



何度も言いました。



父は私にとってどんな人間だったか。

前にもブログで書きましたが、

凄く良い父親とは言えません。



いつも怒鳴ってばかりで、

特に家族に対する言葉の暴力が

甚だしい人でした。



子供にはあまり見せませんでしたが、

たぶん心が弱い人だったので、

だからこそ大声で吠えて虚勢を張って、

家族をコントロールする。

そんな感じでした。



でも基本的には家族を懸命に守る父でした。

ただやり方が間違ってるだけで。



父との思い出は色々ありますが、

ハッキリ覚えてる言葉は、

「お前は取るに足らない人間だ」

と言われたこと滝汗



どんな経緯でそれを言われたのか

忘れましたが、

たしか中学生の頃だったと思います。



言われて、は?どういう意味?と思ったし、

ショックはショックでしたが、

不思議なことに少し気持ちが楽になったのを

覚えています。



その当時、私には完璧主義っぽいところが

あって。



だから、取るに足らないと言われて

知らず知らずに自分で追い込んでいたのが、

そっか取るに足らないんだから、

そこまで頑張らなくていいんだと思えて

勝手に背負い込んでた何かをそっと

降ろせたんだと思います真顔



それと忘れられないのが父との旅ですね。



家族旅行というのは一般的には

楽しいものだと思いますが、

うちは違いました。



うちの旅行は父を指揮官とした軍隊

みたいなもので、指揮官の機嫌を

伺いながら日々の任務をこなしていくという

楽しいのとはかけ離れたものでしたアセアセ



父がヨーロッパに赴任していた頃の

旅行は特に強烈でした。



挙げたらキリがないし、

赴任先には付いてこなかった姉まで

巻き込まれた旅行も沢山ありました。



その中でも、モロ思春期の私が経験した

一番強烈に記憶してる旅行は

私がヨーロッパに渡って最初に

連れて行かれたノルウェー旅行でした。



たしかデンマークから車でフェリーに乗って

ノルウェーへ行ったんですが、

父はとにかくケチ節約家だったので、

距離も稼げるし旅の通過点としては

最適で便利な首都オスロではなく、

もっと全然手前の(南の)しょぼくれた

港町行きのフェリーを選んだんですよ。



しかもフェリーの出発時刻まで

かなりの時間があったので、

フェリーに乗り込むための車列に

車をつけて並んだ途端腹ごしらえを

すると言い出したんです!



キャンプ道具は持っていたし、

父は無類のインスタントラーメン好き

だったので、車の後部座席を全部倒して

キャンプ用の小さなコンロと鍋を

出してきておもむろに作り始めたんです。

しかも卵なんかも落としちゃって、

まぁ美味しそうなラーメンができました。



でもこちらはただでさえ周囲の目が

気になる年頃。



それにアジア人というだけで

ジロジロ見られるヨーロッパで、

フェリーへの乗船を待つ車列の中、

後部座席を倒してラーメンを作って

すすり始めるなんて、

もう本当に恥ずかしくてとにかく嫌でしたゲロー



でも指揮官である父には逆らえないゲローゲロー



しかもうちの車の後ろについた車が

背の高いトラックで、そのドライバーや

同乗者が高い運転席からラーメンをすする

私たち家族を覗き込んでニヤニヤ

してたんですよ滝汗



さらに追い打ちをかけたのが、

まだまだフェリーの時間ではないと

思っていたら、突然前の車が動き始めて

まさかのフェリーへの乗船が

始まったんですアセアセアセアセ



なんと!並ぶところを間違えていて

実は先に出発するオスロ行きの車列に

並んでしまっていたので、

後部座席でラーメンをすすっている最中に

列が動き出したんです笑い泣き



もうよく覚えてませんが、

とにかく早く車を前に出さないと

いけないので、慌てふためいて

コンロとか調理道具を閉まって、

たぶん私はラーメンがまだ残ってる

鍋を抱えさせられて、めちゃくちゃに

なりながら車を走らせたんだと思います。

(嫌すぎて記憶から抹消された)



その慌てふためく様子を見て

また後ろのトラックの人たちが

大笑いしているわけですよ。



もう思春期真っ只中の私は

恥ずかしさで死んでしまうんじゃないかと

思うほどの屈辱を味わわされました。



まぁ、結果的にはそのしょぼくれた

港町行きの安い料金で、まんまと

遠い首都のオスロまで行けてしまったので

ラッキーな出来事だったんですが、

私にとっては最悪な出来事でした。



こういう強烈なエピソードは

本当に山ほどあります。



イギリス旅行で3日間くらい平気で

お風呂に入れなくて頭臭くて痒いとかチーンチーン

旅の途中で購入して車の後ろに積んだ

額縁付きの大きな絵が、車のブレーキを

踏む度に後部座席にいる姉と私の後頭部に

飛んできて死にそうになったりチーンチーンチーン

せっかく買ったバラライカを

駐車していた車に立てかけておいて

積み込み忘れてそのまま轢き潰して

怒りまくって家族に当たり散らしたりムカムカムカムカ



お陰で、社会人になって仕事で

ちょっとやそっとのおかしなことを

やらされても屁とも思わず、

だいぶ強い人間になりましたニヤニヤ



父親ほど強烈な上司にも

出会ったことないですし。



すみません。話の脱線が酷すぎますね。



本当に強烈でわかりづらい人でしたが、

優しい瞬間ももちろんあって。



私が不妊治療中はよく旅先の数多の神に

うまくいくよう祈ってくれて、

奇跡の水と言われるフランス・ルルドの水を

持ち帰ってくれたり。



やっと孫が産まれたと思ったら

コロナで満足には会えず。

でも外で会うと目を細めてとても

嬉しそうに可愛がってくれて、

少なくともかめちゃんが小学生になるまでは

元気でいるから、大丈夫だ!

なんて言っていたのに。切ないです。



不妊治療でもう貯卵も限界になってきて、

いよいよ移植に踏み切ろうかという時に

良性発作性頭位めまい症になって

駅で倒れた私を心配して、

しばらくの間職場最寄り駅まで毎日

通勤に付き添ってくれたり。



そんな父ですが、とにかく最後まで

母のことは怒鳴りまくっていたみたいで…

死に顔も苦痛に歪んでいて、この人の人生は

本当に幸せだったんだろうかと

色々考えさせられています。



一日経った父の顔は、重力のおかげか?

眉間に寄った皺が少し緩んで

目元だけは少し穏やかになったように

見えました。



友人など誰1人こないごくごく小さな

家族葬ですが、色んな顔の父を胸に

しっかり送ってこようと思います。