オリーブ卒業からまた
間が空いてしまいました。


相変わらずの筆不精。
すみません。


先日、不育を診てもらってた
リプロ東京も卒院しました。


最後は大原先生という若めの先生。
ちょっとノリが軽いというか。


結局、お会いしたのは、
土信田、竹内、松林、大原の4名。


そう。多分ないだろうなと
思っていた松林先生にも
1回だけお会いできましたキラキラ
それも、指名なしで。


うわさ通り、本当にオーラが
ない方ですね(笑)


最初、猫背な上に腕で名札が
隠れて全く見えず、終始モニターを
見てたので、誰だこの人?状態。


でもいつもと違う診察室。
こちらを見ない、
そしてオーラの無さから、
もしやと思い、診察終了間際。


私「松林先生でいらっしゃいますか?」


きっと会えるのは今日が
最初で最後!勇気を絞り出した。


そしたら先生、
ますます猫背になり、
こちらを全く見ることなく、
相当恥ずかしそうにしながら、


Dr「あっ、そうです。」


私「いつもブログ拝見しています。大変助かりました。ありがとうございました。」


おっ!自分、言えた!


Dr「あ、そうですか。ありがとうございます。


ものすごーく恥ずかしそうに
しながら、小声で。
結局最後まで目が合うことは
ありませんでした(笑)


時々、声が全く聞こえない
と言っている患者を見かけますが、
それは無かったですね。
ちゃんと全部聞き取れました。


で、肝心の不育症。
リプロでは計3回血液検査をして、
毎回、抗カルジオリピン抗体が
徐々に低下。


でも、結局最後も基準値オーバー。
出産までヘパリン+バイアスピリン
となりましたチーン


もう打つとこないよ…


太腿は痛いし、臀部は初めから
諦めてるので、ひたすら
お腹だけがシコリや青アザで
黒ずんでボコボコに。


皮膚も硬くなり、
痛みなく打てる箇所が
少なくなってきました笑い泣き


リプロ看護師さん曰く、
お腹大きくなってくると
つまめないから、
お尻がいいですよ、と。
腿は痛い。


最悪の最悪は、旦那さんに
腕に打ってもらうか、
助産師さんと相談して
打ってもらってくださいって。


ヘイ。何とか頑張りますグー


このブログで妊娠記録を
記すつもりはありません。
(結末の報告のみする予定)


私自身、不妊治療を経た人が
本当に無事に出産できるのか
とても関心があったので、
そういう出産までをきちんと
綴っているブログが好きです。


でも、長い不妊治療の中、
そういうブログや情報は
わざわざ私が書くまでもなく
世の中に溢れているので、
やめることにしました。


私がブログを始めたきっかけは、
もちろん自分が交流の場や
情報交換したいという目的も
あったけど、当初はそもそも
「早発閉経」の情報が少なかった
というのも始めた理由でした。


最近は不妊治療を取り上げる
TV番組もあるけど、
その中で早発閉経に触れるものは
ほぼ皆無。


早発閉経の定義も曖昧で、
なんだかなーと思います。


正直なところ、治療開始から
AMH測定不能、ずっと0.00だった
私からすると、測定できる上に、
毎回卵胞出現するのに低AMHだと
騒いでいる方には「焦らないで!
数より質!」と思ってしまいます。


結局私は、まだコンスタントに
出現していた比較的若い頃の
質の悪い卵ではなく、
熱血先生(鍼灸)のところで、
じっくり体質改善に取り組んだ後の
半年に一回ペースの卵で妊娠に
至りました。


まぁ、この後どうなるのか
全くわかりませんがアセアセ


言いたいのは、AMHが低いからと
必要以上に不安になったり、
医師が不安にさせることは
逆効果ということ。


私の低AMHが発覚した最初の
クリニック、銀座LCのことを
思い出します。


AMH測定不能で、院長に言われた
最初の言葉が、


Dr「あなた何をしたんですか!?」


明らかに焦りまくってる院長。
いやいや、それを聞きたいのは
こちらです。


しかもその答えを患者から
求めているというわけでもなく、
ただ驚きと焦りから出た
無意味な発言。


早発閉経に理解がない医師が
結構多いですよね。


そういう点では当時夢クリの
院長だった寺元先生も
知識はあるのかもしれないけど、
それ必要?という問題発言多数。


エコーした私の卵巣を診て、
Dr「干涸びてる」
と言ってみたり、


AMH0で、
Dr「あの世にいっとる」
とか、


LHとFSHが暴走した時も、
Dr「原発が爆発したようなもの」


ありえない発言のオンパレード。
ってかその原発云々発言、
福島にもなんか失礼じゃない?
腕はいいのかもしれないが、
その前に人としてどうかと思う。


結局、その干涸びた卵巣と
原発事故のように暴走して
止められなくなったホルモンでも、
その後、六本木で2個、
オリーブで3個、凍結できました。


すべて山中院長によるもの。


私の状態に合った形で、
じっくり、でも確実に治療を
進めてくださいました。


もちろん、熱血先生の
厳しくも面白い、そして
なぜかやる気が出る
体質改善の指導も必要不可欠でした。


そして忘れてはならないのは、
ローズLC。


夢クリでズタズタ・ガチガチに
されてしまった私の心を
落ち着かせ、じっくり治療に
取り組む姿勢を作ってくれたのは
石塚院長と松井副院長でした。


それに同じように残り少ない卵で
戦う素敵な仲間も沢山できました。
本当に心強かった。


ローズでは残念ながら結果が
出なかったけど、
私には欠くことのできない
通過点でした。


なんか悲しいけど、
何となく生きてきた私の人生の中で、
今のところ不妊治療が一番
頑張れたことな気がします滝汗


でもそれが出来たのは、
理解ある家族、特に夫、職場、
そして友人たちのおかげ。


治療の途中は何故こんなことに?と
絶望していた時もあった。


ついには、まるで妊婦のように
お腹が突き出た男性にも嫉妬したり
長い下りエスカレーターで、
立ち止まっている妊婦マークの
女性を後ろから突き落としてやろうか
とか、思うほどでしたゲロー
(もちろん、実際にやったことは
ないです)


長い治療の中で、結局私は
妊娠出来ようが、出来まいが、
基本的にとても幸せなんだな
と思うようになりました。


最後までどうなるかわかりませんが、
いずれにしても結果は記します。