依子がパソコンを立ち上げて、日課のブログめぐりをしていると、奇妙なページにたどりついた。

 タイトルも本文も何もなく真っ白だ。依子も同じブログサービスを使っている。タイトルも本文も未入力だと記事は作れないことは知っている。バグだろうか。

 試しに過去記事もたどってみた。どれだけ遡っても、どのページも真っ白だった。表示がおかしいだけかも、と再読み込みしても真っ白だ。けれどなんとなく離れがたくカチカチと空白をクリックしていると、文字が反転した。

 白いページに白文字で書き込んであったのだ。依子は宝物を発見した冒険家のように胸踊らせた。

 感激しながら読み始めてすぐに、その気持ちは萎えた。
 空白に隠されていたのは怨嗟と侮辱の渦だった。

 満たされない毎日、恵まれた人への嫉妬、少しでも弱さを見せた人のことを罵倒し蔑む。
 依子は読みながら吐き気を覚えた。なのに目が離せずに読み続けた。過去へ、過去へ。

 毎日毎日、不満は尽きることなく世界中に向けて発信されていた。
 これだけの憎しみを持つ人物はどんな人なのだろう。プロフィールを覗いてみた。

「え……?」

 そこには著者が産まれてから今日までの略歴が書かれていた。産まれた病院、出身校、就職履歴、家族構成、生年月日、すべて依子と同じだった。
 小学校から大学まで同じだった同級生などいただろうか。しかも就職先まで。どれだけ考えても答えは「あり得ない」だった。

 では、このプロフィールは?

 なりすまし、という言葉が頭に浮かんでぞっとした。誰かが依子のことを詳細に知っている。どうやって調べたのだろう。依子は自分のブログに個人情報は書いていない。他にSNSはやっていない。日常生活について知るには依子のそばについて回るしかない。

 日常生活を覗かれている? 依子はあわててブログを読みなおした。個人名こそ書かれてはいないが、恨み辛みを向けられているのは依子の知人だと文章から分かる。時には家族、友人、恋人まで白い文章の牙の餌食になっていた。

 依子は引き出しをあさって日記帳を取り出した。息を飲んだ。ブログに書かれていることは依子の行動とぴたりと一致した。誰かが依子を監視している。

 慌ててカーテンを閉めた。しかし、ブログには依子しかいなかったはずの、カーテンをひいた室内での出来事も詳細に記述されている。それどころか誰にも言ったことのない大きな過ちをも書き連ねてあった。

 依子は人を殺した。
 手はくだしていない、見殺しにしたのだ。

 幼稚園児の時だ。仲良しだった女の子と親の目を盗んで出かけた。
 人気のない夕暮れの公園で二人だけでかくれんぼをしていた。
 依子が鬼だった。すぐに見つけた。女の子が知らないおじさんに捕まっているのを。
 おじさんは女の子の口をふさいで、どこかへ連れて行こうとしていた。その時、依子とおじさんの目があった。

「あっちへ行け! 不細工め!」

 女の子が涙目で依子を見ていた。とてもきれいな瞳で。依子は走って逃げ出した。

 家に帰って庭のすみで穴を掘った。どこまでも深く。
 あちらこちら探し回ったであろう親が依子を見つけて駆け寄ってきた。

「依子、どこに行ってたの!」

「ずっとうちにいたよ」

「うそ。おうちの中全部探したのよ」

「かくれんぼしてたから」

 親は怒りながらも納得した。その夜、女の子の行方をたずねて幼稚園から電話があった。依子は知らぬふりを通した。
 一週間後、女の子の遺体が隣町の溜め池から見つかった。

 ブログにはその時のことが詳細に記述されていた。まるで見ていたように。
 いや、まるで体験した本人のように心の内まで書き立ててある。

『私はあの子のかわいさが妬ましかった。かわいさ故に死ぬことができる顔立ちを憎んだ。』

 それはまさに依子が隠し通してきた秘密だった。女の子を見捨てたことよりも深い秘密だった。
 その秘密のために依子は今まで女の子の名前を封印してきたのに。

『さおりちゃんみたいにきれいになりたかった。』

 あばかれた秘密はどす黒い怒りとなって依子を痛め付けた。さおりを見捨てたことに後悔などなかった。今だって、これからだって、罪悪感など抱かない。そのはずだ。そうに決まっている。

 依子は真っ白なブログを編集した。真っ黒なページに真っ黒な文字ですべてのページを書き換えた。

『私は間違っていない』

『私はかわいい』

『私は正しい』

『私は』

『私は』

『私は!』

 『私』で埋め尽くされた膨大なページを前に依子は放心状態で崩れ落ちた。しんと音のない真っ暗な部屋に液晶画面から黒い光が床に伸びていた。

 ぴくりと依子の指先が揺れた。ゆっくりとキーボードを叩く。頭は胸につきそうなほどにうなだれたままだ。
 ゆっくりゆっくりと指は一つずつキーを押していく。

『私はすくわれたい。』

 真っ黒なページに真っ白な文字がくっきりと輝いて、依子を照らしていた。