説教『死の支配を覆す』より | 今日の講壇(抜粋)

説教『死の支配を覆す』より

「番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。」(マタイ28:4)

■本当に強いものは何か
 ここに登場する兵士たちは、武力によって威圧するわけですから、人々を死で脅す者を代表しています。彼らを雇う人間は、武力によって他を威圧しなければ生きていけない、武力で平和を維持していると考えているのでしょう。しかし、平和をもたらすものとは、決して武力ではないのです。
 死を振りかざして支配する者は、もっと強い者が来てこれを無力にします。それは命の神です。それは人間の目には見えないのです。キリストの復活はまずここで、空の墓として示されました。墓の中でよみがえる瞬間は誰も見ていないのですから、証拠としては不十分だと思われるかもしれません。しかしこれは、神に属する良いものは、見えないということを示しているのです。愛や、希望というものは、目に見えません。信じなければ、無いとしか思えないのです。
 見えないものを信じないならば、人々は、権力や富こそが人間を生かすと信じ、それを求めて奪い合い、傷つけ合うだけです。見えるものである「死」を恐れ、死を武器にして、生き残ろうとするのです。しかし、その先に何があるでしょうか。殺戮は憎しみを生み、憎しみは報復を生み、報復はすべてを破滅させるのです。戦争の傷は永遠に癒えることはなく、解決できない問題を残しています。
 人間が人間らしく生きることを保障され、他の国の人たちとも人間として出会えるような社会をつくり、交流することこそが大切なのです。このような平和の教えは、イエス・キリストご自身が実践された生き方です。イエスは正しく生きたために十字架につけられ殺されますが、神はイエスを復活させ、愛は決してむなしくならないことを示されたのです。