父の入院に伴い、毎週広島から千葉に帰省している。
そんな中、実家のある千葉市若葉区みつわ台をゆっくり散歩した。
写真は、千葉都市モノレールのみつわ台駅。
千葉都市モノレールの開業は1988(昭和63)年3月28日。
当時私はマレーシアに住んでいた為、開業時は知らない。
マレーシアに行った時(1985年)時点は、柱やレールを作る工事の真っ最中だった。
何か凄い街になりそうな、期待感があった。
みつわ台第1公園。
小学校にあがる前、よくここで遊んだ。
小学校時代、よくここで野球を楽しんだ。
少年野球の練習
クラス対抗の試合
写真は、千葉聖心幼稚園。
私の出身幼稚園であり、当時のクラスメイトには、元メジャーリーガーの石井一久がいた。
当時の若かった先生方も還暦に近い年齢だろうか。
私の入園が、1978(昭和53)年。
当時先生が20歳でも1958(昭和33)年生まれで、現在56歳。
写真は、みつわ台南小学校。
開校は1978(昭和53)年。
ホームページの書き方だと、この時に北小学校・都賀小学校より分離独立。
私の入学は1980(昭和55)年。
出来立ての校舎で綺麗だった。
当時の1年生は3クラスあるも、
私のクラス(3組)以外はプレハブが教室だった。
教室が足りなかったのだろう。
プレハブ校舎の冬は寒く、1・2組の子らは鉄筋造の3組の教室で暖をとった。
私は卒業間近の6年の2学期末をもってマレーシアに転校。
当時はまだ車の所有率が今ほどではなかった。
買い物は、みつわ台の中でしたものだった。
買い物は、徒歩か自転車でするものだった。
そんな私の育った、みつわ台
このみつわ台の歴史が書かれているサイトを発見
鳥の舞う街みつわ台 開発秘話 宍倉清蔵⬅️こちら
↓宍倉清蔵氏(服を着ている側)
土地の確保の為に農家を1軒ごとに回ったこと
宍倉清蔵氏は、俳優の緒方拳氏と知り合いであること
みつわ台の通りにずらっと桜並木がある理由
みつわ台という名前が決定するまでの変遷
開発前のみつわ台地区の写真
などが、サイトを見るとわかるので、ぜひ一読を。
開発前のみつわ台の写真を見て、ぜひ調べてみようと思い、
この地域の航空写真の変遷をアップする。
写真の左下に競輪場がある。それを基準に見ると比較しやすい。
↓現在(2014年)のみつわ台
↓1978年当時のみつわ台(写真をクリックすると拡大)
私が幼稚園の頃。
まだ、モノレールはない。
↓1955年当時のみつわ台地区(写真をクリックすると拡大)
みつわ台開発前。
全く面影もない。
頼りは左下の競輪場と県道64号線(佐倉街道)のみ
2019年10月16日追記
↓みつわ台の募集案内