忌野 清志郎(いまわの きよしろう、1951年〈昭和26年〉4月2日 - 2009年〈平成21年〉5月2日)は、日本のロックミュージシャン。本名:栗原 清志(くりはら きよし)。血液型A型。

RCサクセションを筆頭に、忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドを率い、ソウル・ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。そのステージ上における圧倒的な存在感と、1983年に発表されたRCサクセションのライブアルバム「THE KING OF LIVE」の印象から、ザ・キング・オブ・ロックの異名を取った。

アニメ監督の西久保瑞穂は従弟、消しゴムハンコ作家の百世は娘 にあたる。





死去、葬儀
2009年5月1日午後に容態が急変し、2日午前0時51分に癌性リンパ管症のため死去した。58歳没。家族の他、容態急変の報を聞いて病院に駆けつけた盟友の仲井戸麗市らが清志郎の最期を看取った。清志郎の愛弟子の三宅伸治も容態が急変した1日に約20分間見舞ったことを8日付の自身のブログに記している。アースマラソンをしていた間寛平はカンザスでこの訃報を受け、ショックのあまりに泣き崩れた[要出典]。4日、関係者のみの密葬が無宗教の献花形式で行われた。9日、青山葬儀所でファンなどを対象にしたロック葬『忌野清志郎 AOYAMA ROCK'N ROLL SHOW』が行われ、弔問数は4万3000人[注釈 2]に及んだ。これは、戦後の日本の葬儀においてはhideに次ぐ2番目の参列者の多さであり[9](そのhideとは命日が同じである)、竹中直人、甲本ヒロト、大竹しのぶらが弔辞を読んだ。戒名は芸名そのままの「忌野清志郎」で、遺影は遺族の意向で「栗原清志」として笑顔で写ったプライベートパーティのものが使われた。墓は高尾霊園高乗寺にあり、一周忌を前にした2010年4月に建立された。