推しと言う概念が分からない話 | kame3ブログ~何時からブログで無くなったか

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最近自分の方向性が分からなくなってきた

どうも、kame3です。

 

当初の予定では、前回見送らざるを得なかった可哀そうな性癖選手権をやる予定だったのですが、数日程更新する機会を逃し続けていた結果、減少傾向にあったアクセス数が盛り返すという事態が発生したので見送る事になりました。大変悲しいです。

 

さて、今回の話ですが・・・二次元のキャラとか実在するアイドル、ネット活動者などを推すという概念があるじゃないですか。

 

この推しと言う文化…理解出来るんですよ。個人的な解釈ですが人に推し勧める程に好きって感じですかね。今よりも人気になって欲しい、布教的な意味合いとして考えていて、同担拒否という自分が応援しているメンバーのチーム内人気を下げる行動に一切の理解が追い付かないのですが、それと違っていい文化だと思うんです。

 

しかしですね、最近Twitterのタイムラインで偶々見かけたツイートに『推しは変わるんじゃない、増えていくんだ!』と・・・俺の考え方とは違う意見が見受けられたんだよ。

 

因みに考え方を否定しようって意図は無く、自分の中では推しと言う概念はこのようなものだと認識しているってのを吐き出そうってだけです。多分俺の考え方は少数派だと思うから、一切気にしないでくれ。

 

まず自分の中で二次元のキャラに対して、どれだけ好きかのランク付けを行っているんだよ。最上位が嫁、全てのコンテンツの中で一番好きなキャラで不変。この先どれだけ自分好みのキャラが来たとしても譲らない。嫁複数宣言する奴は大嫌い。

 

その次に来るのが推し。これは一つの作品につき一人までと、何度も言うけど個人的に定めているんだよ。その下は好き、気に入っている、普通、苦手、嫌いと続くんだけど、『一つの作品につき』だから同時に複数いても問題は無いんだよ。

 

ただ、二人の推しが出来た時に同じ力で推すことが出来るかどうかだと思っているんですよ。例えば・・・俺の知識の幅が狭いのでウマ娘で例えるけど、アプリリリース時+アニメの影響でライスシャワーがウマ娘で一番好きなキャラになりました。自分はライスシャワーのお兄様です。

 

それから数か月ほど経過してキャラに対する理解が進んだり、二次創作とか育成ウマ娘として公式によるストーリーを読んだ結果、カレンチャンも推しになりました。自分はお兄様であり、お兄ちゃんです。

 

それからアプリリリース時にはいなかった新たなウマ娘が実装されて・・・俺が育成シナリオの中で何度読んでも泣かされるケイエスミラクルにするか。ケイエスミラクルも推しになりました。

 

ここで三人の推しがいるわけだけど、この地点でライスシャワーの推しになってから一年くらい経ったけど、新しい推しであるケイエスミラクルと比べた時にライスシャワーの熱量が下がっていないだろうか?

 

名前を出されたときに思い出したように再燃して、ライスシャワーへの思いもケイエスミラクルへの思いも優劣が無いと言ってないだろうか。そしてカレンチャンはどうなった?

 

この中だったらライスシャワーとかカレンチャンは二次創作とかファンによるいろんなネタとか、公式でも出番やグッズ面とかでも途中実装のケイエスミラクルに比べると豊富だけどケイエスミラクルを忘れたりしてないか。

 

公式で人気投票とかやってないから俺の中では人気の指標にしているのがピクシブなんだよ。言葉で好きと言うよりも、わざわざ自分でそのキャラのファンアートを描いて投稿したい・させたという熱量。一つのキャラに対して10万人のファンがいて、その内の0,1パーセントの人がピクシブにイラスト投稿したら、それだけで100通りのファンイラストがネット上で見られるわけで・・・ファンが多ければ多い程、その中に絵師がいる可能性が上がり、そのイラストを見て新たなファンが生まれたりするわけですよ。

 

ただね、ウマ娘の中でも人気格差が結構あってな・・・ファンが多い=イラスト投稿数も多くて、毎日数十枚のイラストが投稿されているんだけど、俺の推しのバンブーメモリーは数日に一枚くらいかな。

 

一か月くらい毎に検索してみるのだけど、新着順なのにスクロールせずとも一か月前に見たイラストがズラーっと並んでいるんですよ。シンデレラグレイでも、オグリの生涯が主題だからオグリVSバンブーメモリーのマイルチャンピオンシップの激闘は描かれたけど、そこに至るまでは同じクラスの筈なのに数巻あって数コマしか出番が無かったり、バンブーメモリー自身が勝った安田記念の描写は一切無かったし、1990年のスプリンターズステークスも描写されるか怪しい所だったり・・・とはいえ、これでもウマ娘の中ではマシな方なんだよな。

 

まぁ話脱線するからバンブーメモリーよりも不遇なキャラについては後回しにするけど、どうしても人気格差は生じるわけですよ。例えば謎のマスクウマ娘(オルフェーヴル仮)と言う、昔の公式PVにちょこっとだけ登場した名無しキャラが正式に実装されたウマ娘よりも二次創作で見かけたり・・・軌道修正したのにもどって来てしまったな。

 

とにかく、自分が好きなだけではカバーしきれなかったり、シンプルにそのキャラや作品に飽きたり・・・それで気持ちが無くなったのに、他の人が名前を出した時に思い出した→覚えていた→そのキャラ好きだった→今でも好きだ→今も変わらず好きだ!は無理があるよね?とか。

 

先ほどのウマ娘三名を例えに出しましょうか。最初、ライスシャワーに対して100の熱意がありました。その後カレンチャンにも推しになりました。この時に、両方に対して熱量が100ある。これなら良いんだよ。

 

でも本当はライスシャワーに対しての熱量が下がっていて70、カレンチャンの方が100です。・・・まぁ、これくらいなら誤差だと思うよ。

 

そこからケイエスミラクルが加わった時に、ライスシャワーが40、カレンチャンが70、ケイエスミラクルが100。ある程度は差が出るのは仕方ないよ、最推しなんて言葉もあるし。でもさ・・・同じ作品の中で、平等に愛する博愛主義は俺には出来なぁ。作品毎に気持ちを分けないと。


と言うか、二次元に本気の恋愛感情を持たないんだよな。多分10年くらい変わってない初めての嫁キャラがいるけど好意よりも憧れの方が近くて、仮に付き合えたとしても俺がそのキャラを幸せに出来ない。


何故なら俺の考え、行動に対して好意を抱かれた訳ではない。もしAIのような感じで俺の発言に対して、忖度抜きで発言してくれるなら…そう言う事じゃねぇなぁ。


とりあえず結論として、推しは推す気があるなら推せ。以上