インタビューを開始してからだいぶ時間が経ったので、一旦休憩しましょうか。
「お気遣いいただき、ありがとうございます~」
『休憩・・・えっ、もう二時間も経っていたんですか!?』
“クラシックレースを制したウマ娘達による三者対談と言う旨でのインタビューでしたが、元々クラスメイトとして交流があったので、色々と話が盛り上がってしまいましたね”
『でもいざ振り返ってみると、私とクリークさんって一度も同じレースで走った事が無かったんですねぇ」
「確かにそうですね。逆にヤエノちゃんはチヨちゃんとも私とも何度か勝負していますよね~」
“はい。しかしチヨノオーさんには皐月賞で勝つも日本ダービーでは敗北。クリークさんに関しては一度も敵いませんでした”
『やっぱりあの当時のクリークさんは圧倒的な強さでしたよね』
「ありがとうございます。でも皐月賞や日本ダービーの時の私は怪我でレースに参加する事すら出来なかったので、チヨちゃんとヤエノちゃんの活躍が羨ましかったんですよ?私も丈夫な足で走れたら・・・って」
“しかし私は、オグリさんやクリークさんの様に人々から認められる強いウマ娘になりたいと何度も思っていました・・・”
『そうですよ!それに私なんて、日本ダービー以降は・・・』
「『“・・・”』」
・・・少し早いですが、インタビューを再開しましょう。それでは、皆さんにとって一番思い入れのあるレースについてお聞かせいただけますか?ご自身が走られたレースでも、走っていなかったレースでも大丈夫です。
『あっ、はい!私はやっぱり日本ダービーですね。幼い頃に観客席から日本ダービーを見たときに、こう・・・体の中から熱がブワァーっとこみあげて来て、私が大きくなったら絶対にこのレースで走りたい!と決めていたので。
それに、私の憧れで目標だったライバル・・・あっ、先輩なんですけど!その先輩から、絶対に二度目の挑戦権が存在しない日本ダービーでの勝利を託されたんです。
だから最後にアルダンさんとヤエノさんが迫ってきた時は苦しかったですけど、『このレースだけは絶対に譲れない!』って懸命に走って掴み取った勝利なので、胸を張って日本ダービーと言えます』
「確かにあの時のチヨちゃんの気迫は、その場にいなかった私にもハッキリ伝わるくらい圧倒的でしたね。続いて私ですが、一つだけ上げるとしたら菊花賞でしょうか?
先ほどもお話ししたように私は足の脆さが原因で全力で走る事をトレーナーさんから禁止されていたのですが、菊花賞を目前にそれを克服して滑り込みでの出走が叶いました。こんな私のためにトレーナーさんは熱心に向き合ってくれたのですから、その恩を少しでも返すためにも菊花賞での勝利が必要だったので、それが叶ったこのレースが私とトレーナーさんにとっての一番ですね~」
“私の場合は天皇賞秋ですが・・・再び暗い話になってしまいますが、よろしいでしょうか?”
はい、お願いします。
“了解しました。まず私たちの世代は『オグリ世代』と言われており、それほどまでにオグリさんの存在と影響力は絶対的なものでした。それこそ当時の生徒会長であるシンボリルドルフさんがオグリさんの日本ダービーの出走を例外的に認めるように求め、後にクラシック登録の制度が変わる程度には。
そしてその原因となったのは私の皐月賞での勝利が原因と言われており、一か月ほど前にオグリさんに敗北した私が皐月賞を制した事で『ヤエノムテキが優勝できたのだから、オグリが出ていたら皐月賞を優勝したのではないか』『なんでオグリは日本ダービーに出られないのか』『オグリを日本ダービーに出せ!』・・・殆どの方が、勝利した私を通してオグリさんを見ていました。
当時は冷静を装っていましたが、心の内では獣のように暴れて叫びたくて堪らなかった。『何故誰も私の事を見ない!私の事を認めない!!』と”
『ヤエノさん・・・』
“それからの私は人前ではオグリさんの事をライバルと公言するようにしていましたが、本当は倒さないといけない敵にしか見えていませんでした。にも関わらず何度走ってもオグリさんに勝てないレースが続き、私の内に抑え込んでいた感情が隠せなくなってきた時・・・天皇賞秋で私が勝利しました。私が勝利したんです・・・
しかし話題になったのは『オグリキャップが6着で惨敗』『どうした!?オグリキャップ!!』・・・勝者になっても、2着だったアルダンさんや3着のバンブーさんの事でも無く、オグリさんの事ばかりが・・・!!”
「は~い、いったん落ち着きましょうね~。感情的になり過ぎるのは良くないですよ~?」
“はっ!?しっ、失礼しました!!・・・オグリさんを恨んでいけないと分かってはいるんです。彼女とはレース以外でも交流がありましたが、良い人というのは分かっていたのです。しかしレースの事になると、つい感情的に・・・”
『私は既に戦線離脱していたのでオグリさんとはレースで走ったことが無いのですけど、あの頃は学園の外に出たら色々な人に囲まれてオグリさんに関して聞かれまして・・・とにかく怖かったです。学園内もそのせいでストレスが溜まるウマ娘が多くて荒れていた印象がありましたよね』
・・・すいません
「記者さんが謝る必要無いですよ?それにオグリちゃんも、他のウマ娘も、応援していた人たちも、みんな悪くないんです。ただそういう時代だった、というだけですから~」
“そうですね。今となっては誰のせいでも無い事が分かるのですが・・・私があの方の境地に達するにはもう少し掛かりそうですね”
あの方、というのは?
“ダイユウサクさんです”
『あぁ~・・・確かにダイユウサクさんはある意味凄かったですよね』
「あの子は色々な意味で有名人でしたよね~」
ダイユウサク・・・あの、他の方に取材した時もダイユウサクさんの名前が出てきたのですが、あの有馬記念以前からダイユウサクさんは有名だったのですか?
“はい。あの方を一言で表すのなら『明鏡止水』。オグリさんの敗北で荒れる学園の中でも、世間に流されることなく練習を積み重ねる姿は見習うべきという事で有名でした”
「それにダイユウサクちゃんは、私やアルダンちゃんの様に体があまり強くなかったのを克服してOPクラスまで上り詰めた同期のウマ娘でしたから。あの子と教室は違いましたが、少しだけ良いニュースとしてクラス内で話題になったんですよ?」
『そういえば、アルダンさんがダイユウサクさんと何かをお話ししたと言っていたような・・・』
“あとダイユウサクさんはOPクラス昇格後の1戦目が天皇賞秋で、私やオグリさんと勝負した事があります”
そういえば・・・確か7着でしたっけ?
“そうです。オグリさんに半身差離されてのゴールで、彼女のトレーナーさんらしき方は『ここまで走れたなら上出来だ!』と言っていたのに対して、本人はあまり大きな反応は無く・・・もしかしたらオグリさんに勝ちたい、それどころか1着になれなかった事を反省していた可能性も・・・やはり彼女は侮りがたし・・・”
話が変わりますが、皆さんはダイユウサクさんの有馬記念は見に行かれたのですか?
『それは『隣に生えるニンジン、味を聞く』ですよ!』
・・・えっ?
「その話を聞くべき相手は私たちで本当に良いのですかねぇ~?もしかしたら、相応しい人物が他にいるかもしれませんよ?」
“もし私達で良いのなら話しますが…”
…いえ、今は止めておきます。
※取材終了後、サクラチヨノオーの格言らしきものについて調べてみたが何も出てこなかった。オリジナルなのだろうか?