7月になると、急にお店がヒマになった。
留学生がみんな帰国してしまったからだ。
それと引き換えに、夏休みだけの短期留学の生徒が来てくれたが、たった2ヶ月で帰国するのなら中華を食べてほしいと逆に心配した。
北京アジア大会の取材の通訳が不足していて数人は北京に残りアルバイトをしていた。
相変わらず彼らは、日本人のお客さんを連れて来てくれた。
ほとんどが、アジア大会の取材に来ている、マスコミの人たちだった。
当時、毎日グラフにレストランの記事がのった。
僕も写真つきでのったが、それよりも、後日地球の歩き方にのったのがうれしかった。
一方、店長の親戚の家にホームスティしているので、お店をやめたあとのことを心配したが
ある日奥様が
「あなたはもう私たちの息子です。 大学で中国語を学んでくれるのはとてもうれしいです。
もし、仕事がなくて、お金がなければ、私たちが学費をだします。 卒業するまで5年でも10年でもここで暮らしていいのよ」 と言ってくれた。
中国にきた当初、帰宅が遅いとしかられてから、たった4ヶ月。
中国の両親の思いに心から感謝した。
言葉がここまで理解できたのにも驚いた。
レストランの方も社長の粋なはからいで、夜だけバイトで続けることになった。
アジア大会のマラソンはお店の近くを走るということで、スタッフと見にいった。
ちょうど、僕たちの前を通るときは、日本人の選手が一位で通過した。
僕はそれをみて、わけもわからずボロボロと泣いた。
北京 れすとらんものがたり 完
おわりに
北京オリンピックを目前にひかえ、中国の食品が大問題となった。
さらに、冒頭で心配した通りに、途中チベットで数10人が犠牲となってしまった。
悪い予感は当たってしまったのだ。
それでも僕は中国がこころから好きだし、今もとても感謝しています。
両国の間で少しでも理解が深まればと思い書いて見ましたが、どうでしょうか?
北京 りゅうがくものがたり 希望があればまたいつか。