夜の部は9時半オーダーストップ、10時閉店になっていた。
閉店後も後片付けや、スタッフのミーティング等でお店を出るのは夜11時に近い。
夜中の北京を自転車でホームスティ先に向かう。
天安門事件以降、北京市内の主だった交差点には軍隊の人が24時間警備していた。
手に持っているライフル銃は本物なので、夜中にその前を通るときはあんまりいい気持ちはしない。
家に着くと、いつものようにホームスティ先のチャイムを鳴らす。
お手伝いさんがなかからカギを開けてくれる。
僕は6畳1間を一人で使っていたが、部屋の大部分は家主の荷物が置かれていたため、自分で使えるのはシングルベットと小さいテーブルだけ。
いつもは家に帰ると、簡単な日記をつけたり、日本の友人に手紙を書いたりした。
その日は部屋に入るとすぐに、家主夫婦が部屋に入ってきた。
奥様はかなり感情的に一方的に中国語でまくしたててきた。
ほとんど意味はわからないけれど、どうも帰りが遅いのが気に入らないらしい。
別に僕も遊んでいるわけではないのだけれど、言葉が通じないのだから仕方がない。
向こうも言うだけ言うと、部屋に帰っていった。
その夜は言葉が通じないのがくやしくて、いつまでも眠れづにいた。
ここでは相談する相手も、協力してくれる仲間もだれもいない。
こんなことで、この先も本当にやっていけるのだろうか?
夜中の2時ごろ、家主の部屋がさわがしくなった。
家主のほかに、6歳の息子さんとお手伝いさんの声もする。
やがて、家中の電気がつけられたので、僕も隣の部屋にいってみた。
奥様が部屋の真ん中で、倒れたまま体が痙攣している。
息子さんが、半泣きで母親の名前を呼んでいる。
ちょうどそこへ、ご主人の友人らしき人が車で迎えに来て、全員どこかへ行ってしまった。
一人僕だけ家にとり残された。