6月3日・伊平屋の塔慰霊祭が行われた。
今回の慰霊祭は新型コロナ対策で関係者のみの参列でした。
伊礼幸雄村長による戦没者への追悼の辞朗読がありました。
遺族代表として村商工会・伊豆見文徳会長の追悼の辞がありました。
児童・生徒を代表して国吉さんの平和への願いを祈願する挨拶
がありました。素晴らしい挨拶でした
村民代表のみなさんによる献花と追悼祈念が行われた。
村内児童生徒代表による追悼祈念も行われました。
伊平屋小学校児童の皆さんによる千羽づるの奉納も行われた。
明治27年・日清戦争、明治37年・日露戦争、大正3年・第一次
大戦、昭和6年・満州事変、昭和16年・太平洋戦争、その全ての
戦争に島の住民も兵士として出兵しているのは驚きである。
昭和20年6月3日、6000名以上の米軍が伊平屋島に上陸。
空と海からの攻撃で47名の住民が犠牲になった。
米軍は水陸両用戦車で前泊の浜へ上陸を始めた。
我喜屋集落を捜索する米軍兵士。
当時の島の住宅はこのような茅葺の家である。
島の人々は抵抗することなく、すぐに投降をしたという。
そのおかげで、ほぼ全ての住人が犠牲になることなく助かった。
島の住人は全て、田名区に収容されたという。
こういう状況で戦えるわけないですよね
戦争当時6歳だった西江ホテル社長が当時の様子を話す記事
が沖縄タイムスに掲載されています。
(詳しくは画像をクリックして下さい)
平和の尊さを真面目に考えたいものです。