ひどく傷ついてきたのですがっ!

いまさら「あれっ?」ってなってる。
過去の重苦しい傷が辛く醜いものじゃなくなっていく予感がする。
これらもわたしの人生を彩るんだと思う。いままだだけど。きっと。

 

うまく書けるかわからないけれど記録する。
(読み返したら書けてない。けど、疲れてしまったのでひとまずここでアップしとく)

 

++

たぶん、根っこにある意識

 

家の女はお母さんで、何やっても言ってもおかあさんは毎日ご飯を作ってくれる。家の中では(甘えて、もしくは考えもしないで)人権無視でも家の外ではやらないから分別は知ってるようだ。不満や苛立ちがあるとガンガン大きな音を立てて怒る。そうしてもお母さんはまた明日、かわらずご飯を作ってくれる。
 

日本中のたくさんの女は、何も言わないことで平和を装う。女に元気があれば「しょうがないわねえ」と納め、元気がなければ深い悲しみの沼に沈む。
女が「そうしていい条件」を満たしやすいだけで、男だって条件さえ満たせば起きる。気が弱いとかちょっとおっとりしてるとか、失敗や突っ込みどこらがあって丁寧に扱わなくていい気配がするとか。

 

この世は今もそんな状態。

同居の男性が二人、どうにも違う生き物すぎて、や〜この状態から何を発見しろと?と攻撃を躱しながら考えていた。逃げ出せる状態だし、人類の研究中だと思っている。

 

さすがに今57歳のわたくし、反撃もできるから病むようなことも無くなったけど、心の調子が狭い時は落ち込んだり傷ついたりする。

 

ところが最近やっと、こんな酷い扱いを受けるなんてと傷つかなくていいのだとわかった。出来事と自分との関係や、「〜だから〜だ」という定義が思っていたのと全然違うのがわかったから。

 

幼い頃から理不尽にばんばん殴ってくる何か。たいていは自分より強い男。時に女も片棒を担ぐ。なんか時々おかしいことが起きる。差別とか男尊女卑、虐待、ハラスメント。悪い奴がすること?悪い奴は吊し上げてもちっとも減らん、なんだったら吊るし上がらん。話が通じん。急に変なところへ接続されるみたいに。


「これはいったいなんなんだ。」

そう思ったのは50歳をすぎてから。

私は離婚してる。実家に帰って父や弟とも衝突した。母の様子や、母の死後に父と対話を重ねて持てた楽しい時間。仕事上で急に起きる理不尽な場面が地域によって違うこと。いろんな経験がわたしに知らせてくれる。

振り返れば子供の頃からずっと同じ不愉快を感じて、自分を守りわたしの生きたい世界を築いてきてた。それは、けっこう成功したのだと思う。そのまま生きれば女が弱者が受けてきた暴力なんて、忘れてしまったと思う。どんどん仕事をして、好きに旅行して、自分のデザインした家に住んで、幸せを感じて。

 

でも、なんか知らんけど全部終わった。子どもさえおらんようになった。全部終わったところで東日本大震災があった。変わってしまってたわたしの人生がこれで、すっかり変わった。変わった先はわたしが望んんでいまからつくる世界だった。
 

+++

 

わたしはずっと辛かった。自分がいけない子どもだから酷い目に遭うのだと思っていた。幼い頃は性的な虐待をしてくる大人の男がそこらじゅうにいた。「植物園にいるあのおじさんは小屋に鍵をかけるから呼ばれても行っちゃダメだよ」女子で情報交換をした。いじめもあったけど先生は助けない。はみ出る子どもは嫌われる。わたしは暮しの手帖を読んで育った子どもだから、真面目であったし世の中の理不尽や正しく在れない大人たちのことを知って「ああこれだな」と答え合わせをした。わたしから湧いてくるずるい心を嫌って戒めてもきた。流されることができず嘘で合わせることもできず、どこにいても何か不足を探して補う仕事を見つけて、今思えばその場から逃げてた。けれどおかげで、優しい気のつくミサトさんでいられた。

 

なんで私はこう育ったか、いったい何が起きていたのか、振り返って十年間考えた。
そして見えてきた。

この世の問題の原因は。
人格にあるのでなく育った環境、文化や習慣にある。まるで、人類みんなで洗脳されていたみたいだ。今からこうなった仕組みや関係が明確になって、しっかり検証されいろんな経験を積んで人類は変わっていくはずだ。奴隷を売り買いした時代からそんなに遠くに来てなかった。
いまはまだ、人類は発達の過程で、わたしは自分の尊厳を守り闘っている。勝たなくていいけど、従う気はない。

 

人類ってどんな生き物で、一人一人が満たされ自由を感じるのはどういう仕組みか、何が起きて今があるのか解明し始めたばかり。
んで、調べれば調べるほど悲しく辛くげんなりしきったら、変化していく過程を楽しめるように考えていく時代が来る。目指す世界が今よりどんなに輝いて満たされるのかを明確に描くことができてその一歩が始まり続ける毎日が楽しみになるほど。

 

楽しくないことは続いていかない。

 

わたしは、自分しか経験できないことを通して発見した。

人は自分の手に持っているすんごい力と自由を使って生きるのだ。そして、その皆が集まることで想像以上の満足を生み出せる生き物だと、記録し表現したいなと思う。この美しい様子を。
57年前から仕込んできたことの、辻褄が合ってきた気がする。

だったらすごく生きたいと思う。