虫唾が走る。
びゅーびゅー走る。

 

また、戦争が始まり、

定番の

悪者をやっつけろ!

故郷を守れ!

誇りを取り戻そう!
大人の社会の自作自演、その上隠れていた偏見が浮き彫りになる。


日本のことは、原発事故を通して政治の勉強をしたから向かう傾向が差別や排除思想に満ちてるのは知ってた。わたし、もっと世界の文明は進んでると思っていたよ。

とっくに宇宙に飛び出し、世界をケーブルでつないでいるのはまあまあどこでもドアなのに、戦国の時代と変わらずこどもたちは送り出され戦場で死ぬ。太平洋戦争で原爆が落とされ、空襲で孤児となる子がわんさかいても、世界は世の中の設定を変えなかった。

アニメや映画は「悪を倒すと平和が来る」と刷り込む。
そんなことあったかよ。
ここがすごいんだ、あそこが深いんだ、大人は喜んで子どもに見せる。

「悪を倒すと平和が来る」そんなことあったかよ。


わたし、限界を超えてしまい。
わずかにのこっている、社会とバランスを取ろうとしていた部分が決壊。
大好きな叔父の葬式にも行かなかった。

 

わたしにもあるように、

世の中には世の中の好みがあるから、

ここはのびのびと、ここは調子を合わせてって

自由とはいえ、ちょっとした変わり者だと自覚してて頑張ってきた。

せっかくの仕組みだから直して使わないと、この世の中に手が負えないと思ってた。

 

でもいやだ。

もういやだ。

わたし、変だけど、世の中の方がもっと変だ。

 

常識が子どもたちを踏みつけるのに加担したくない。
泣きながら子どもを差し出す大人と一緒に、

何の手立てもないと絶望を演じたくない。
差別と排除が染み付いてて濯ぐ方が大変そう。
 

 

わたしの持つおおらかさは、搾取や悪巧みに加担させたくないし

わたしの心は常識に踏み荒らされたくない。

誰のためにだって協力は喜んでする。

けど、創造はぽかぽかとしていてその景色はのびのびとうつくしくありたい。

 

わたしは、いちいち世の不思議に引っかかる子どもだった。
センチメンタルな大人を気遣って言うこと聞いてると奥歯が砕ける。

いや、べつに、

100%好きなようにするだけなんだけど。
わたしの生きてる素晴らしい世界を満喫しながら、わたしを最大限に活かすのだから、辛抱や我慢するよりパワーアップするのはわかってるんだよ。

子どもの命を差し出すのは明確に拒否できるけど、わたしという子どもの人生を台無しにするのに無頓着だということだ。

いろんな可能性の扉をノックしていく。
想像以上の大冒険を。