わたしがこれまで人生で使ってきた、目盛りや単位を見直した一年やった。
幸せも不幸も、
こうだったら幸せ、
こうだったら不幸って
設定があって初めて感じられる。
この、
設定を疑ったことなかったから。
うすうす知ってて自分はわかってるつもりで
調整して自分との折り合いをつけてるつもりで
半世紀もこれで来たけど。
このうすうすも私の設定じゃなかったわけよ。
んま〜!
死ぬ目に合ってきたのに(こらえて生きた)
辛くて、叫びだし走り回りたくなるほどだったのに
それを感じる設定がそもそも怪しかったですと?
今頃になって、おもしろいやないかい。
設定しなおしたるわ〜。
という気分のクリスマスです。
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この状況がわかり始めた時、
衝撃すぎてそんなことやったんかいとがっかりして沼から出てこれんかった。
早く切り替えて設定変更を始めなきゃいかんって思ってたけど。
沼から出ようとして水面に向かうんだけどまた沈んでしまうのを繰り返した。
いけるぞ!…ダメだった。
こんどこそ!…やっぱりダメだった。
失敗体験が繰り返されてどんどん暗く沈んでいってしまう。
で、ここも知らんかったんですけど
ダメダメで沼に沈み切ると固い底があった。
実はこれ蹴って浮上するんですよ。(よく本に書いてありますね)
沈みきらないようにもがくより、さっさと沈んだ方が早い。(そうはいうても)
早いのがいいかはいろいろですからね。(今思えば準備に必要な分だけ時間かけるですよ、多分)
伝えたいのは早く沼から上がるほうじゃなくて、
沼に沈んだ時も不安になったり焦ったりするけど、
必ず好くなるから安心してていいよってことですわ。
(どこに向かっていてもいつかはハッピー。信じ難いけど。)
わたし、どうなっても必ず「よかった!」って思うものを掴むから。
なら、今そうなってよ!って思うけど、ここ実は順番逆なんだよね。
先に信頼して解釈(物差しや単位)を変えると現実の捉え方が変わるんやから。
起きてくる出来事はさして変わってないですけど、そこから見出すことによって私が変わっていくから、伴って現実が変わってくる。
何度も失敗して、同じプロセスを繰り返すのは発見の喜びを繰り返して自分に染み込んでいく時間で、これも仕組みがわかれば好みに短縮できる。そうして、自分を発掘して見つけ出した論理や能力に合わせて設定を変更していくわけです。
この設定条件が過酷だと過酷な解釈をしていくし、
設定条件がわたし好みだと、わたし好みの展開をしていくんだよ。
沼の底がどんなだかも見に行ったので、安心。(想像より全く悪くないし、なんだったらお好み設定で竜宮城配置できる)
去年のクリスマスのわたしとは全く違うわたしが居る。
なんてゆかい。(忘れて都度ビビるけど)
今見えなくてもきっと重ねられている経験。
好き日はもうソコにあるのかも。
あれっ…底にあるのかも?
どなたさまもめりめりクリスマス。
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ここは、わたしが人類のけんきゅうをして人生のはっけんを実践してメモしてるブログ。
産まれたては何も知らないまっさらな自分。子どもの頃からひとまず設定してきた自分は仮の自分で、本当の自分は死ぬその時まで好きなようにカスタマイズしていくんだって人生の折り返し地点を過ぎて気がついた。
すこしずつ満ちしあわせを感じている。
どこまでわたしを満喫できるかな。
わたしの方法はわたしのもの。
皆には皆の方法があるよ、きっと。
【わたしのお店】
どうぞ寄っていってください。