今は亡き小﨑正巳先生が、何度もおっしゃっていた「透析に入る前に、移植をするということ」についてのお話が、小﨑浩一先生からもありました。
実際行うことはあるけど、正巳先生の思いは、そうではなかったので、
実のところはあまり・・・というご意見だった。
私も10年くらい前だったろうか。初めて「非透析移植」の話を聞いた時に、
マジで?透析したことがないのに、移植するの??
「移植腎がダメになったら、透析があるからいいじゃん」なんて、思う人も出てくるだろう。
そんな時、後悔するのは自分なんだ、ということなのだ。
透析を始めた方が、ごきょうだいから頂いた。
移植者になったら、誰も関わってくれなくなった(透析室は週3で通うし、Nsもスタッフとの会話もあるし)から、と、わずか数年で透析に戻ってしまったケースもあった。
まじで??なんで???そんな理由で?(実際はそうではない理由もあったかもしれない)
私が透析に戻った時に、その方はまだ若かったのもあり、その時も通って来ていました。
そして何が1番ショックだったかというと、その後にドナーさんを、PD外来で見かけてしまったことだ。
なんとも言いようがない、嫌な、切ない気持ちになったことを、今でも覚えている。
最近ネットで見かけたのが、これから数ヶ月後に移植をする方が綴られているものだった。
その間に食べてはいけない、飲んではいけないものや、移植後の生活について今から学ばれているようでしたが、お若いのもあるからなのか、
今現在、具体的な症状が何もないのに、移植後はこんなに制限がある!本当に移植しないといけないのか、という不満の声だった。
モヤるわ〜。
「良かれと思って」と、親御さんからなのかな、移植がすでに決まっている。
お子さんに辛い思いはさせたくないのも、親心だ、わかるよ、けどさ
透析がどんなものか、半年でも、一年でもいい、経験してから、移植を受けた方が、移植後のQOLは、格段に違うものとなるだろう。
結果的に、自分のためになると思うんだけどなぁ。
そんな話を、小﨑正巳先生がお元気だった頃の外来では、
年1くらいで、よくお話させていただいたな。
だいたい先行的腎移植って何やねん
非透析移植だろが。
小﨑浩一先生からも、最近は、増えているというお話も伺った。
私も、体感で増えて来たなぁと思うので、時折この話題を書いている。
小﨑先生が危惧しておられたのは、
移植が軽いものになってしまっている、楽な移植しかしない移植医。
「だって、最初からおしっこで出るじゃない?」
そりゃそうだわ!腎機能廃絶してないんだもんな・・・。
(某医大が、じゃんじゃん手術だけして、その後を見ることがないのが、いけないよね)
移植医療って、本来はレシピエントの(もちろんドナーも)移植後の生活が、元気で長く続くことが1番重要であって、手術がゴールなのではないのだ。
そして、若ければ若いほど、その移植腎は、長く持たせようとしたいけれど、
多くの移植者は、今世を全うするまで、移植者でいることは、なかなか叶わぬことだろうと思う。
私も22歳で50代の方の腎臓をいただいたけど、まぁ、生活ももうちょっと睡眠とかとれば良かったという猛省はあるが、15年。
当時の献腎移植の成績としては、そう悪くない感じだったと思う。妊娠出産育児もあったからなぁ。
そして当時の移植仲間は、何人もが再移植を親きょうだいからすでに行って、再び移植者として生きている方が多い。
(もちろんその間に亡くなられた方も、おられます)
もちろん移植後30年、40年選手も、奇跡的におられるけどね。本当に彼らは希望の星だと思う。
けど、現実はそんな奇跡を生きるような方は、ごくごく僅かである。
あぁ、移植の話になると、アツくなりすぎるな。
そして本当に、ここに来て、移植の話ばっかり!!が出来て、めっちゃ嬉しいわ〜。
と、言いながらも、14日の採血結果が出るまでの数日。
たまに湧いてくる弱気の心と闘いつつ、頭に浮かべば消しゴムで消して、
考えないようにしているのだ。
「人事を尽くして天命を待つ」
先日、移植仲間とのLINEのやり取りの中で、登場したこの故事成語。
「よく、小﨑正巳先生が、おっしゃっていたよね!」と。
私も、やることは全部やった。
本当に後は祈るしかない。
さあ、運命の決まる14日は明後日だ。
「楽しみにしています❣️」