自分のブログをリブログしようと思いましたが、jugemはできなかったのでした(^^;

もしかしたらトラックバックURLから行けるんだろうか。

http://kamap.jugem.jp/trackback/7641

URLも貼り付けておきますー。

 

それにしても、あっという間の1年でした。

とはいえ、死にそうになったりとか、いろいろあった年で、何度か別荘行きになりましたが(^^;

生きて帰ってこられてよかったです。

あれから1年、幸いなことに、PD+HDFは現在も続いており、

4時間半のオンラインHDFと、腹膜透析を継続出来ています。

 

1月に水戸医療センターの小崎浩一先生の外来を受診して、

献腎移植の今、生体腎移植の今のお話を伺ってきましたが、

正直、私の今世で、献腎の連絡が来る可能性の方が、厳しいとのことでした。

今のところまだ元気だし、身体もそこそこ動くので、しばらくは透析をしながら

延命治療をしていくつもりです。

(一生このまま、透析で生きていくのかな・・・)なんてことも、ふいに思ったりはしますが、

最初の移植の前も、透析で生きる覚悟をしていたので、ドナーが現れた連絡が来た時は、

青天の霹靂でした。

まぁでも、よくよく考えたらば、生きる術が透析しかなかったので、

覚悟もなくもないのですが(^^;死ぬ選択肢はなかったし、

生き続けるためには、やらないと行けないと思っていたので。

 

正巳先生が亡くなられても、何かあるたびに思い出し、

正巳先生だったらこう言われるだろうな、とか、考えてしまいます。

移植医療は進んだけれど、献腎移植が思いの外進まなかったこと。

八王子医療センターのセンター長時代に、厚労省を回って、

「坂口厚生労働大臣だけは、彼は医者だったし、移植に理解を示してくれた!」というお話や、

移植学会は・・・というお話も、

とにかく移植がつくお話は、お互い外来で話していて、つい盛り上がってヒートアップしてしまうという(^^;

そんな正巳先生の外来が、いつも楽しみでした。

 

今でもたまに、正巳先生がおられた外来のお部屋で、他の先生の診察を受ける時がありますが、

いまだに違和感が拭えません。

もうこの世におられないことが、不思議でならない、です。

私はもう少し今世で、生きてからそちらに行きます。

今頃のんびり、されているかなぁ。

 

- - -

巨星墜つ。

2018.03.07 Wednesday

朝から悲しいお知らせがありました。
移植した頃から先月までお世話になっていた、
主治医の小崎正巳先生が、昨日亡くなられたとの御連絡を受けました。
 
正巳先生がお元気なうちに、私ももう一度移植して、
「元気になりましたヾ(●⌒∇⌒●)ノ 」って、
お伝えしたかったなぁー。
 
もしかしたらここを見ている方で、ご存じの方がいらっしゃると思ったのでこちらにも書いておきます。
 
生前からの強いご希望で、葬儀はしない!ということでしたので、私からできるだけ関わられた患者さんにお伝えしてくださいとお願いされました。
 
病院で何かしらをされる際は、またご連絡します。
八王子医療センターの、センター長時代をなぜか思い出しています。
 
あぁ
一つの時代が終わったなぁ。