Wizardが活休になってから

全てのピアスを外し、

その後6年の間、ピアスをしてきませんでした。

 

昨日、久しぶりにピアスをしてみたんですよ。

 

左右0G、00Gぐらいまで拡張してて、

4Gぐらいまで縮んでましたね。

口のピアスは普通に入りました。

まぁ、6年放ったらかしにして塞がらない穴なら、もう塞がらないんでしょうね。

 

久しぶりに通したピアスは、どことなく恥ずかしくて

すぐに外してしまいました。

 

同様に、当時愛用していたネックレスがあったんですが、

それも出てきたもんで、つけてみました。

 

懐かしい気持ちになりました。

 

しかし悲しいかな、どっからどう見ても

さいとうさんなのでした。

 

さいとうさんといえば、私の中でこの数年で変化したことがありました。

 

私の本名、下の名前、ずっと嫌いでした。

古風だし、戦国武将みたいだしね。

 

ある日突然、自分の名前の古風さが逆によく感じてしまいました。

 

名前に歳が追いついたのか、何のかわかりませんがね。

父親が亡くなったのが大きかったのかもしれないね。

 

そうだね、今日は父親の話をしようか。

 

私は、長いことずっと父が苦手でした。

小さい頃の印象で、ずっと父は怖い存在だったんです。

 

昭和の親父を絵に書いたような人でね。

母は母で気が強い、思ったことはズバズバ言う母なので

しょっちゅうぶつかってて大変だったと思います。

 

私が小さい頃ですが、物が飛んだりとか、年一ぐらいで激しい夫婦喧嘩とかあったりね。

 

私は私で学生時代はマジでどうしようもないくらい道を踏み外していたので

小学中学ごろは、悪さが親にバレる度に、しょっちゅう父親に半殺しにされていました。

 

学校サボって家でゲームしてたら半殺しにされました。

 

ありえないよね。それぐらいでって思うけど、多分、滅茶苦茶職人気質で、物事に対して真摯に取り組む人だったから、

私の素行の悪さが許せなかったんでしょうね。

 

そんな絵に書いたような、典型的な昭和の親父だったので、私は父親が苦手だったのです。

 

そんな父親の名前が一文字入ってることや、

前述した古風さで嫌いだったんです。

まじで戦国武将だなって。

しかも戦国武将に同じ名前がいるんですが、みなさんロクな死に方してないんですよね!

あんまり縁起よくねーなってずっと思ってました。姓名判断も良くないしね。

 

中学の頃、私の友達の父親が働いている水道屋さんで

その友達と一緒に、生まれて初めてのアルバイトをしました。

 

一月働いて、初めて貰った給料

いくらもらったか覚えてないけど

そのうちの一万円を父親にあげました。

記念みたいなもんで。

 

父親が亡くなってからの遺品整理で、

父親の財布が出てきたんですが、

その中に、あの当時渡した一万円がまだ入っていました。

しかもね、一万円を折って、金額が一億円になるように折ってありました。

あと、WizardのアルバムのDIVINEに同封されてた私のトレカ。

 

ずっと財布の中に入れてたみたいで、

母は「ずっとお守りみたいに入れてたよ」って。

さすがにそれ見たときは、こみ上げてくるものを堪えることができませんでした。

 

 

研いだ出刃包丁並に、触れたら怪我するぜと言わんばかりに

尖りに尖りまくってた父親でしたが、

2007年頃には歳のせいか性格も丸くなってきてました。

同時期、私も雑誌に載ったりして、私の活動が父の目に入るようになったことも大きかったのかなって思います。

あと妹が結婚して孫が生まれたりとかね、そういうのもあるかもね。

そんなこんなで私は徐々に父親苦手を克服していったわけでした。

 

 

父親が亡くなってから、人の死というものをリアルに感じ、考えるようになりました。

知り合いの和尚さんに死というもの、魂というもの、偲ぶことなどのお話を聞き、

 

それまで暗く、怖い、全ての終わりみたいな存在であった「死」という概念がちょっとずつ変わっていきました。

 

確かに、生きていた人が亡くなってしまうことは悲しい。

親しければ親しいほど、悲しい。

 

文字で、言葉で、書いてしまうのは簡単すぎて、その重さが全然伝えられないけど。悲しい。

 

だけど、手を合わせ合掌すれば

その合わせた手の中に仏様はいるんですと、和尚さんは教えてくれました。

 

会いたくなったら手を合わせてくださいって。

 

必ず、その手の中にいますからって。

 

その言葉でどれだけ楽になったか。

 

それから、死というものが私の中で暗く、黒く、怖いイメージだったものが

少しずつ変わっていきました。

 

死は終わりではない。

 

父も、ますみも、この手の中にいる。

 

いつか必ず私もそっちに行くときが来ます。

 

その時に、たくさんたくさん、誇れる話ができるように、

残された私達が、どう生きていくかが大事なのです。

 

そう思えば、死ぬことも怖いものではなくなってきます。

 

後悔のないように、生きたいね。

あなたも、私も。

 

土産話をたくさん持てる人生を歩もう。

 

余談ですが、私は生まれ変わりを信じています。

人間は1年ちょっとぐらいで生まれ変わるんじゃないのって思っています。

 

だから、私の父親はもう生まれ変わってるか、

ぼちぼち生まれ変わる頃じゃないでしょうか。

 

どこで、どんな家庭に生まれて、どんな道を歩んでいくんだろう?

 

そんな父親の生まれ変わった姿を想像すると、心が楽なのです。

 

そんな、父親が付けてくれた私の名前が、

ずっと嫌いだった名前が、

今では愛おしく思えるのです。

 

父さん、ありがとう。

今日は父の日だよ。