スラムでの居住権運動については実績がある女性だった。ケゾンシティのバランガイ(近隣地区町内会)のオフィスで彼女をまっていると彼女は誰かを薬屋にやっていた。のどが痛くて胸が苦しいという。彼女の働きすぎを心配しながらも一緒にデルモンテバランガイからの代表が到着するのをまってマラハスナ地区にでかける。彼女が住民と一緒に大金持ちと市を動かして私有地を買い取り住居を建てた記念塔でもあった。
ここは1997年7月25日、ブルドーザーで早朝からスラムの人々の平穏な生活が一気に踏みにじられたところだった。今この場所に住む町内会長の女性はそのことを話すとき涙がとまらない。朝食をとりテレビを見、仕事にでかけようとしていた矢先に家を根こそぎ奪われたショックはいかばかりだろう。目覚まし時計や歯磨き、子供たちの写真などがあたり一面に散乱し、ブルドーザーと催涙ガスで武装したアラネタ一族が雇った業者があっという間に普通の生活を壊していったのだ。フィリピンきってのアラネタという有力者一族が38ヘクタールという広大な私有地を工場にしようとしてそれまで30年以上も住み続けてきた人々の居住権を踏みにじってあっという間に300軒の家をなぎ倒した。裁判所の命令なしにすべての生活を奪われた人は涙ながらに市の公民館に避難するしかなかった。この残虐ぶりにはマニラのカトリック教会も憤り、その惨状をウェブに書き込み家を奪われた人々を擁護した。だが家はかえってこない。2カ月もの間人々は市のホールに泊まり込むしかなかった。自然災害ではない災害で避難民になってしまったのだった。
フィリピンの法律では10年以上住んでいればたとえその土地が自分のものでなくても優先的にその土地を買う交渉権を得ることができる。だがその土地は高すぎたし人々は資本がなく、個別でアラネタ一族との交渉に加われる人はいなかった。土地が高すぎた。人々はまとまって市を動かし市にこの土地を買い取ってもらうしか方法はなかった。土地が支配層の手に握られていて貧しい人の数が多いので法的には「不法占拠者」とされる人々が非常に多いが、基本的な地主制度の不備をただすにはあまりに上層階級と癒着している政治がそれをなんとかすることはできない。
