常滑焼の里を歩いてお腹も空きました。其処でリクシルが運営する「世界のタイル博物館」に向かいました。博物館に併設されているイタリアンレストランでランチンする為に先ず予約を入れて、1時にランチする事にしました。「世界のタイル博物館」はタイル研究家・山本正之氏が、1991年に約6000点のタイルを常滑市に寄贈し、LIXIL (当時のINAX)が常滑市からその管理・研究と一般公開の委託を受けて、1997年に「世界のタイル博物館」を開設したものです。山本コレクションと当館独自の資料による装飾タイルを展示公開し、来館者が「観て、学んで、発見」できる、世界でも珍しいタイルの研究博物館として活動しています。

世界のタイル博物館の総合受付のある建築は創業の匿名伊那陶業組合の土管製造の窯ですです

世界のタイル博物館の総合受付・資料館には創業時の土管製造の情熱が遺されていました。

 

常滑焼は平安時代末期に庶民が使う茶碗や皿などが焼かれたのが始まりで、その後、大きな甕や壺などの生活雑器を中心に発展しました。江戸中期に小ぶりな急須などがつくられると、その素朴な味わいが当時の文化人に好まれ、次第に芸術品として認められるようになりました。創立者の先祖である初代・伊奈長三郎は、そんな時期に誕生した陶工の一人だったのです。時代は変わって江戸の末期、四代目・長三郎の長男として生まれたのが、伊奈初之烝。初之烝と息子の長太郎(伊奈製陶、後のINAXの創立者。1926年に長三郎を襲名)は、明治の産業革命を経験し、急激な時代の変化や産業化の波が押し寄せるなか、斬新な発想で新しいアイディアを次々と実現していきます。家外小便所の特許を取得したり、アメリカのセントルイスで開催された世界大博覧会に「陶管」を出展し、銅賞を受賞したりしています。伊那製陶大発展の礎はフランク・ライトが帝国ホテルを建築するに際しその煉瓦タイルを焼いたことでしょう。でも大発展の予兆は伊那製陶が作った和様便器の美しさに在ると確信しました。今日は伊那製陶が明治時代初期に製造した和便器を紹介します

これは明治時代の青絵の小便器です

此方は明治時代に製造した大便器です

これは近年製造されている衛生陶器です

これは明治時代に製造された男性用小便器です、今春道後温泉でも観ました

最も美しいと思った青絵の朝顔模様の男性用の小便器

公衆トイレに入ると必ず注意書きがされています。

一歩前,振って零すな芋の露

急ぐとも、心静かに手を添えて的をはずすな、マツタケの露

男性自身の事を「芋」と呼んだり「松茸」と呼んだり様々工夫がなされています。目標は小便器です、小便器を外すと迷惑です。小便器の事を朝顔と呼んでいます。群馬県中之条町は相体道祖神に朝顔が刻まれていました。朝顔と云っても江戸時代の事「桔梗」の花でした。

群馬県中之条町は相体道祖神は台座に朝顔(桔梗)が刻まれて和合を象徴させていました。

                  【了】