知立市で花菖蒲を観た私達は東に向かって走りました。三河三川を下流に下って、知多半島の先端に向かって下ると途中半田市があります。半田市は西三河の穀倉地帯にあって、醸造業(ミツカン酢や日本酒の国盛ビール等)が盛んな地域です。醸造業を支えたのは農業(穀倉)と水運の良さだったのでしょう。関東の野田や銚子市に似た土地です。半田市出身の童話作家として有名な新美南吉の記念館に向かいました新見南吉記念館の外観は、周辺の丘を模したユニークなスタイル。『ごんぎつね』など代表作を紹介するジオラマを始め、自筆原稿や日記、手紙などの資料も展示。南吉の生い立ちや作品(童話)の世界を展示しています。記念館は一見して藤森照信氏の作品をおもわせました、同氏の関係を想って確認すると、全国コンペの結果新家良浩建築工房による半地下式の案が最優秀賞に輝き建築されたのだそうです一見奇抜な設計は、周囲の地形と連続することで、南吉が童話に描いた知多半田の自然・風景と調和することを目指しているのです。「童話の森」から記念館にかけては中山さまの城跡と言い伝えられてきた場所であり、南吉文学に描かれた里山の自然に触れられる森として、市民の馴染み親しんだ里山風景で岡の麓には狐の棲み処(狐濠)が在って六地蔵が並んでいます。

新見南吉記念館の建物半地下式の建物で屋根は周囲と同じ芝生で張られています

新見南吉記念館の親子狐のオブジェ

童話の森の麓には六地蔵が並んでいます

新見南吉記念館の内部(1階エントランス)

 

写真を写す事は自由です(フラッシュや三脚の使用は禁止)。床には黄色と緑の狐の足跡があって、足の弱い人は黄色の足跡を追って行けばバリアフリー対応で楽に館内を周遊出来ます。

緑と黄色の足跡に従って館内を周遊します、此処は喫茶室の入口です

展示の初めは新美南吉が産まれ育った半田の里山の照会で主として水彩画で生家が農家であった事を紹介してくれます

新美南吉の生家の裏手の風景(田圃と神社)渡辺多蔵の子供としてうまれたが、母は亡くなり父は再婚する、その後再婚後の母の実家(新見家)の養子になる

常福院と離れの家

少年新見南吉は優秀で半田中学に進学する

 館内には、常設展示室・図書閲覧室・会議室・工作室・カフェ&ショップなどの利用スペースと、事務室・収蔵庫などのバックスペースがあります。利用スペースではお客様が南吉文学の世界に触れるお手伝いをし、バックスペースでは南吉が遺した貴重な資料を次代に伝えるため、整理・保存されています。過半の空間は南吉の童話の世界を芝居の舞台の様な空間を作って展示していました。南吉の童話は誰しも知っているので、キツネの人形を使って舞台を見て想像力を刺激して貰えば満足です。

新見南吉の書斎(6畳間に文机一つ)

南吉の狐に寄せる想いを記した展示/狐は正邪の判断が出来て居るのもの生きてゆく為には、

邪もしなくてはならない悲しい生物である

雪の中の狐の親子

狐の親子は雪の中で生きて行きます

ゴン狐の場面(手袋が欲しいと思う)

狐のゴンは帽子屋を騙して手袋を取得しました

最後に新見南吉が童話を創作した時代を説明して現代的意味も示唆していました。

新見南吉が童話を創作した時代には社会不安を背景に2.26事件が勃発して関東軍が満州国を建国して

外語大学進学予定だった南吉青年も行き詰まってrいました。

天皇様(現上皇様)ご夫妻も来館されました。

新美南吉記念館は良く出来ているのですが、展示の字が小さいのが欠点です。一通リ見学すると疲れました。喫茶室はミュージアムショップに隣接しています、珈琲で一服して狐の缶バッジを求めて次の目的地半田運河にある「ミツカン酢」に向かいました。

新美南吉記念館の喫茶湿、隣はミュージアムショップ

                【了】