豊橋市で吉田城や御油宿、赤坂宿を観光して、次の目的地は西尾市吉良街の華蔵寺です。車窓は一面麦秋です。ソロソロ小麦を収穫して、。水田や大豆栽培の準備に入らなくてはなりません。華蔵寺近くの道路に縄が落ちています。運転をしている友人は”蛇を弾いてしまった!”と慌てています。小麦を食べに来た鼠を食べるのが蛇ですが、変温動物の蛇は先ずアスファルト舗装道路で日光浴してから鼠の補食に取り掛かるのでしょう。そこで交通事故に遭って失命してしまったのです。

車窓から見ると吉良町は麦秋でした、吉良は味噌の産地です。材料は麦と大豆と塩です。

想いも寄らない交通事故に遭遇して赤穂浪士に仇討された吉良上野介も同じ様な思いだった事でしょう。事件は東山天皇の勅使の接待役を浅野内匠頭が任命された事に起こります。上司は吉良上野介でした。浅野内匠頭は江戸城松の廊下で刃傷事件を起こしてしまいます。現代で云えば株主総会の議場で創業家の不祥事を暴露するか、ライバル企業に機密を漏洩塩多様なモノでしょう。旅先で老人5人が刃傷事件の原因を討議しました。結果は浅野内匠頭が精神病(統合失調症)であったのではないか、全員の意見が一致しました。問題は事件の判決の不公正でした。武士の世界では「喧嘩両成敗」が原則でした。内匠頭が「吉良との喧嘩です」述べれば双方お咎めを受けて禍根を残さなかったのに「私に遺恨がありました」としか述べなかったので自分だけが切腹する事になってしまいました。お家再興が成らなかった事を確認した大石内蔵助を筆頭にする赤穂浪士は討ち入りする他武士の意地を果たす事は出来なかったのでしょう。高家吉良家の菩提寺 華蔵寺は山号を片岡山(へんこうざん)といい、吉良上野介義央公の曾祖父である吉良義定が旗本として吉良家を再興した際に、父義安の菩提を弔うために慶長五年(1600)に創建した臨済宗寺院です。 吉良家墓所には義安以下、代々の墓が建ち並び、毎年、吉良公の命日である12月14日には毎歳忌(まいさいき)法要が行われ、たくさんの参拝客が訪れます。 御影堂には吉良義央の木像等がが、義安像、義定像と並んで祀られています。義央公50歳の姿を刻んだものといわれ、自ら彩色を施したと伝えられています(普段は非公開)。また、吉良家ゆかりの文化財を数多く所蔵しています。

吉良家墓所の御霊屋に祀られている吉良義央の木像

右奥が吉良家の「お霊屋/位牌堂」手前の宝篋印塔は吉良義央の墓標

吉良家墓所の墓石案内図

吉良上野介​​​​忠臣蔵では悪役ですが吉良の領民にとっては最高のお殿様だったようです。吉良町には赤馬に乗った義央公の像が沢山あります。領地を赤馬にまたがり巡回をして親しく領民と接し、人々から厚く信頼されていたと伝えられています。治水工事、塩田開拓、新田の開拓など、数々の善政がいまに残され、語り伝えられております。なかでも、善政の一つとして運河を作って治水、灌漑工事をしました。「黄金堤」は、当時、大雨ごとに水害をもたらした流域に、たった一晩で築いたと伝えられる180㍍の堤防は今もなお健在で、桜の名所として人々を楽しませています。

吉良上野介​​​​が築堤した「黄金堤」は新田開発と治水灌漑を同時に実現しました。

華蔵寺をまっすぐ西に進むと「吉良温泉」があって、海辺には「塩田」が在りました。今は「吉良町歴史博物館」と「入り浜式塩田」が遺されています。私達は吉良温泉の民宿「オザキ」で一泊して翌朝「吉良町歴史博物館」で塩造りの体験(200円)をしました。赤穂は古代からの天日塩(てんぴえん)の生産地でした。赤穂は東大寺の荘園で主生産物は「天日塩」でした。近世になって吉良上野介​​​​入り浜式製塩を初め、江戸市場で古代塩であった、赤穂の天日塩を追い上げていたのでしょう。天然の利点を活かした赤穂の塩に対し、砂浜を活用した入り浜式製塩の拮抗が松の廊下の刃傷事件の発端だったのかも知れません。華蔵寺の坂道の踊り場に日本画家の「村上亀城」氏の俳句を記した句碑がありました。

行く春や 憎まれながら 三百年村上鬼城の句碑と吉良町教育委員会の解説

華蔵寺は臨済宗妙心寺派の古刹です。近世大名の菩提寺に相応しい格式を備えていました。方丈庭園は遠州好みの綺麗な庭園で亀島と鶴を模した黒松がめだっていました、庫裏の控えの間(本堂で営まれる葬儀を待つ部屋)には立派な達磨図が襖に描かれていました。

華蔵寺の方丈庭園は遠州好みの綺麗な庭園でした、中央が亀島で鶴を黒松が模していました。

華蔵寺の庫裏の控えの間の屏風絵は「赤い達磨図」で大磯にk棲んでいられた「堀文子」さんの作品だそうです。

華蔵寺の庫裏の控えの間の屏風絵此方の面は富士山と梅の様でした

10年も昔上った時には境内に赤馬の玩具を展示して在りましたが、今では農耕馬を知らない人が多くなったので吉良上野介が農耕馬に乗っていた意味が分からなくなってしまったので赤馬の故事は風化してしまった様です。私達は蛇を轢かないように注意しながら吉良温泉に向かう事にしました。      【了】