豊橋駅から車で5分の位置に豊橋公園があって「博物館」や「美術館」等文化施設が集積している「豊橋公園」が在ります。豊橋市役所もその一角に立地しています。重要文化財「豊橋ハリストス正教会」教会も豊橋公園の北側ですから、豊橋公園駐車場に駐車すれば、ほとんどの観光ができました。豊橋の名所と云えば「吉田城」で別名「鉄/くろがね城」と呼ばれています。
1564年には松平時代の家康公が、今川方の吉田城代小原鎮実を攻め、吉田城を攻略し、城主に酒井忠次をおきました。
酒井忠次は吉田城を改築し、新たに堀を掘ったことが発掘調査で明らかになっています。

その後、羽柴秀吉配下にあった池田輝政(照政)が、吉田城の城主となり、大城郭を改造しています。輝政時代の遺構には鉄櫓下の石垣があり、当時としては最新技術で積まれた石垣といわれています。
世界遺産となっている姫路城を池田輝政が築く前は、実は吉田城の城主だったのです。
歴史に残る有名人たちが吉田城の城主だったということは、それだけ吉田城が戦乱の要であったということでしょう。豊川が屈って海に向かう屈折点を見下ろす高台に吉田城がありました。写真で「真っ黒な城」で名前は「黒鉄城」ですから。城を鉄の鎧で囲ったお城と予測していまあした。デモ、管理人に確認すると、城門の扉が鉄製で側板は黒く塗った杉板の様に見えました。

広重の東海道53次吉田宿の図、右が吉田城で豊川を見下ろす高台にある向こうの橋が吉田橋で豊橋の名になっている

豊橋公園にあった吉田城址説明板、此処は戦争中歩兵百十八聯隊が在って記念碑や神武天皇像が在りました

豊橋公園の門には歩兵百十八聯隊が駐営していた時代の守衛の検問建物が残っていました。横須賀軍港にも残っています。

豊橋博物館に展示s誰ていた吉田城の模型手前が豊川で中央が鉄/くろがね櫓」

右は「川手やぐら」外濠には「船の出入り口」がある。

吉田城の中央部芝生の場所は「御殿」で平屋の建物であった、向かいの4階建てが「鉄/くろがね櫓」

吉田城の石垣と「石垣刻印」の説明

吉田城の石垣と「吉田城址」の表柱(松の根元)

豊橋と云えば「竹輪の町」程度の理解でしたが、豊橋博物館には縄文遺跡に弥生遺跡、前方後円墳等歴史も深く市民の誇りや愛着を理解しました。

豊橋博物館の石器時代縄文時代の展示

豊橋博物館の弥生時代の展示

豊橋博物館の古瀬戸陶器の展示説明

豊橋博物館の古瀬戸陶器

広重の描いた岡崎は巴川を外濠にした家康が出世した最初の城下町でした

豊橋は三河の中核の都市でお隣の岡崎とのあいだに分水嶺(白髯神社)があって岡崎に向かって流れる巴川と豊川稲荷に向かって流れる豊川と安城に向かって流れる「矢作川」となります。三河の自然と歴史が日本を代表する文化、産業先進地になったのでしょう。       【了】