昨日(5月21日)は上野の国立博物館で「法然と極楽浄土展」を観て来ました。法然と云えば季節的に「定家カズラ」を思いだして「想い人は法然/石丸祥子筆式子内親王の想い人を定家ではなくて法然だという説」の根拠になっている法然上人の手紙(親鸞の手紙の様な女性や庶民を導いた)を観たいと期待していました。

昨日見学した「法然と極楽浄土展」のポスター

国宝の知恩院「早来迎図」は前期展示で昨日は実物展示はありませんでした

「法然と極楽浄土展」の前半は法然以前の「源信」作の「往生要集」が展示され「二河白道図」が展示されていました。

往生要集のエキスを絵で表現した「絹本著色二河白道図」上が現世で下が来世です、間を深い河が隔てていて橋状の白道を渡って来世にむかいます。橋の両側で阿弥陀如来が見守って居ます。誤って火炎地獄におちるか、極楽浄土にたどり着くか教えていたのです。

中世の混乱期に当たって人々に極楽浄土を説き導いた人が法然上人だったのでしょう法然の弟子には親鸞や一遍上人が出現します。更に江戸時代には江戸幕府の支援を得て増上寺には「祐天上人/祐天寺」等庶民を導きます。自由が丘の「九品仏浄真寺」も増上寺の末寺です。多くの宗教人の指導もありましたが「民間信仰」・庶民の視点に立てば最大の功績があったのは当麻曼荼羅でしょう。当麻寺では拝観した「当麻曼荼羅」は国立博物館のライトの下で鮮烈な印象を与えてくれました。昔観た印象より遥かに明るく鮮やかでした。奈良の当麻寺に伝わる中将姫伝説によれば蓮糸曼荼羅なのですが、蓮糸は往生要集の地獄観に起因したのでしょう。鮮やかさや光沢を観ると絹が素材である事に間違いないでしょう。また数点の当麻曼荼羅絵巻が展示されていました。中将姫は竹取り物語の「かぐや姫」の様に見えました。「かぐや姫」は月からのお迎えで仕方なく月に戻った事になっていますが、中世以降の日本人は中将姫は阿弥陀信仰の強さで阿弥陀如来のお迎えで天に昇ったのでしょう。

当麻曼荼羅は一編180cm程度のカーペットで周囲に九品来迎図九図が描かれています。中世に中国から伝来したのか事実中将姫の様な篤信家が制作したのか不明ですが、日本人に強い影響を与えたカーペットです。

当麻寺では25菩薩練り供養が著名です。展覧会でも6面が展示されていました・6面とも如来のお面で度々修理制作されて来たのでしょう。九品仏浄真寺でも25菩薩練り供養をしています。

当麻寺の25菩薩練り供養

九品仏浄真寺の25菩薩練り供養

「法然と極楽浄土展」の展示は信仰の対象ですから、写真撮影は出来ません。でも最後の展示コーナーは香川県の「法然寺」の「立体涅槃群像」で撮影は可能でした。嘆き悲しむ羅漢像のほかに多くの動物も釈迦の涅槃を嘆いていました、猫は干支に入っていないのに釈迦涅槃を悲しむ群像に混ざっていた事実が気になりました。

香川法然寺の涅槃群像

香川法然寺の涅槃群像の十王像と鬼

香川法然寺の涅槃群像の猫

上野の国立博物館でお握りでランチして、今年重文に指定された埴輪を確認して東洋館に回って。上野駅から帰宅する事にしました。                 【了】