大杉をむて定福寺へ向かいました、定福寺は真言宗智山派に属し、神亀元年(724)僧行基によって草創され、仁王門、教院、御長屋、大師堂、鐘楼等並び立ち壮麗を極めていたと伝えられる。近世に至って明和-安永(1764~1780)の頃火災にあい、本堂を焼失したが、仏像は、その難をまぬがれた。その後藩主山内豊雍により安永8年(1779)本堂の再建が完成しました。

その後明治18年再び火災にあい本堂を残して仁王門、庫裏等の建物はほとんど焼失した。現在の庫裏は明治18年(1885)に石堂の朝倉家(安政4年(1858)建造)を移築したものだそうです。

その後、鐘楼(昭和48年12月8日)、仁王門(昭和59年10月28日)がそれぞれ再建された。更に寺が所有する数々の文化財を保護するため平成27年(2015年)宝物館が建てられました。定福寺をsたのはNHKのTVでした。俳優の原田大二郎さんが定福寺の木造地蔵菩薩立像の前でないたというのです。笑顔の地蔵菩薩立像に母を思い出したのだそうです。

木造六地蔵菩薩立像。左は定福寺住持の龍秀さん。右あら3体目の笑い地蔵菩薩立像母を思い出したのだそうです。

俳優の原田大二郎さんがないたという蔵菩薩立像

定福寺住持の龍秀さんのお嬢様は現在京都国立博物館 で学芸員をされてるそうです。子共の時に戦争を経て戻った老夫が熱を入れて仏像を彫って居られたのを目に学芸員になったのだそうです。昭和30年代衰える大豊町を目にして村中にあった道具を集めて豊永郷民俗資料館を創設しました。

豊永郷民俗資料館の林業展示(重要文化財も在ります)

 

現定福寺住持の龍秀さんは伽藍にあったユースホステルを止めて不動明王像を祀る建物にする夢があります。不動明王像は篤志家が成田山の末寺にあって2度も燃えてしまう恐れがあったので3度目を免れて美しい田舎で過ごせるように定福寺に預かる様に頼んで居るそうです。篤志家の要望に応じる為にも新しいお堂が欲しいものです。

成田山新勝寺の末寺で2度も焼る難に遭った不動明王像

不動明王像は新しいお堂を建てて祀る夢があります

大豊町定福寺は美しい田舎にあります

           【了】