道後温泉本館で皇族専用の入浴施設(又雄神殿)を見学して私達は砥部焼の里に向かいました。砥部焼は背後の山でとれる砥石を素材にして焼いた陶器です。この後に訪問する大洲藩の庇護のもとに発展を遂げ明治時代には輸出され飛躍を遂げた。やや厚手の白磁にゴス)と呼ばれる藍色の手書きの図案が特徴で他窯の磁器と比較して頑丈で重量感があり、ひびや欠けが入りにくいため道具としての評価が高く、夫婦喧嘩で投げつけても割れないという話から、別名喧嘩器とも呼ばれましいた。”何時かは砥部焼の器が欲しい”思って砥部焼観光センターに行き展示を見学しました。展示館では「表示価格の一割引き」の値札をつけて展示即売してましましたが、一割引きでも私の手が届かない価格でしいた、

砥部焼観光センターに近いJAの建物の壁に描かれた砥部焼のタイル絵

 

其処で「坂村真民記念館」の近い酒蔵でい一輪挿しの花瓶(徳利?)を魁夷求めました。藍と白のコントラストは日本人の愛する色で愛好家が多いのですが作業工程を観ると手作りの成型で「手書き」ですから高いのは当然です。先刻たべた讃岐うどんの器も砥部焼でした。

(砥部焼観光センター炎の里)は砥部焼の展示即売施設です

砥部焼は手作り成型で呉須を使って手書きするので高価な民窯です

酒蔵で求めた砥部焼のトックリ(梅山窯)

我が家では最初の砥部焼と思ってましたが、自宅の仏壇には花瓶が砥部焼でした、祖母がご機嫌の時口ずさんでいた「山椒節」が書かれていたのに気に入って仏壇の花立に使用していたのでした。

これは既に我が家に在った砥部焼と思われる一輪挿しで仏壇の花立にしてるものです。

次の目的地は砥部焼を庇護した大洲城のある大洲です。             【了】